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齋藤学が横浜マリノスから川崎へ移籍する理由とは?年俸をチェック

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齋藤学選手が川崎フロンターレに移籍!

というビックリニュースが飛び込んできました。

齋藤学選手はユースの時代から一貫して横浜F・マリノスに所属しているという、横浜F・マリノス生え抜きの選手なのです。

しかも、2017年からはエースナンバーの『10』番を中村俊輔選手から引き継ぐという、チームの大黒柱です。

それがなぜ急に、しかもすぐ隣の川崎フロンターレに移籍ということになったのでしょうか?

それに、横浜F・マリノスはチーム内での問題を抱えている、という噂も根強く続いています。

そこで今回は、齋藤学がマリノスから川崎へ移籍する理由と、年俸なども調べてみました!

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齋藤学が横浜マリノスから川崎へ移籍する理由とは?

横浜F・マリノスは、齋藤学選手にとって

『小学生時代からユース組織に参加していた』

という、縁の深いチームです。

齋藤学選手はレンタル移籍の1年を除いて、Jリーグのチームはこの横浜F・マリノス以外には在籍したことがないのです。

いわば横浜F・マリノス一筋だった齋藤学選手が、移籍を決意した理由とはどんなものなのでしょうか。

その遠因の一つは、2017年9月の右膝前十字靱帯の負傷により、現在もリハビリ中ということもあるでしょう。

負傷により出場機会が減り、その危機感からということもありそうですね。

しかし、負傷による出場機会の減少は、横浜F・マリノスに限らず川崎フロンターレでも、その他のチームでも同様にあるでしょう。

負傷していても常時出場させてくれる、なんてチームがあるはずがありませんからね。

となると、最も考えられる理由は、チームとくに首脳部に対する不信感や疑問疑念でしょう。

 

これは前年の中村俊輔選手の場合と、まったく同じ理由じゃないですか!

エースナンバーの『10』を着けた選手が、2年連続で移籍するというのは、そのチームにとって尋常な事態とは思えません。

しかも、横浜F・マリノスとの契約は2017年で切れていますので、移籍金は発生しないのです。

となりますと、齋藤学選手のチームの首脳部への不信感は、相当強いものがあったのではないでしょうか。

よく言われることですが、横浜F・マリノスのスタジアムはひどいとか、クラブハウスがボロイとかありますね。

その真偽と是非は別にして、横浜F・マリノスは選手のことはあまり大事に思っていないのではないか、という感はあります。

ホーム最終戦のセレモニーで、齋藤学選手はこんなことを語っていました。

ホーム最終戦のセレモニーでの齋藤学の言葉より抜粋

(前略)

「僕は今日試合を見て、すごく悔しいです。

今日の悔しさを次の試合にぶつけないといけないです。

(中略)

やっぱりあと何か足りないんだなと思います。

それは選手の力もありますし、

会社、強化部、色んなものを含めて

もっともっと強いクラブになっていきたいなと僕は思います。

(後略)

自分の力が足りなかったというだけでなく、

会社、強化部、色んなものを含めて

という言葉は強烈ですね。

普通、選手が口にする言葉ではありません。

さらには、

「どうやってチームが強くなっていくのか、 イメージが描けなかった。」

とも語っています。

しかも、中村俊輔選手も移籍の際に、「個人が介入できないどうしようもない部分がある」という意味の言葉を語っていました。

これらを考えると、中村俊輔選手にせよ齋藤学選手にせよ、首脳部に対する不信感は生半可なものではなかったように思えます。

この不信感や疑念が、結局は移籍に繋がったのだろうとしか、いいようはありません。

これはクラブチームとしては、かなり末期的な状態でしょう。

他のチームではなく、我がFC東京にもこの怖さをひしひしと感じています。

 

齋藤学はどんな選手?

それでは齋藤学選手とはどんな選手なのか、軽くプロフィールを見てみましょう。

齋藤学のプロフィール

名前 齋藤学(さいとうまなぶ)

愛称 ハマのメッシ

生年月日 1990年4月4日(27歳)

出身地 神奈川県川崎市幸区

学歴 川崎市立川崎高等学校卒業

身長 169センチ

体重 68キロ

ポジション フォワード

背番号 10(横浜)

利き足 右足

クラブ歴

2008-10 横浜F・マリノス

2011 愛媛FC(レンタル移籍)

2012-17 横浜F・マリノス

2018 川崎フロンターレ

代表歴

2013- 6試合 1得点

齋藤学選手は川崎市の出身ですが、小学生時代から一貫して横浜F・マリノスの下部組織に所属しています。

トップチームへは2009年に昇格し、同年は7試合に出場しました。

その後出場機会の増加のため、2011年にはJ2の愛媛FCにレンタル移籍したのです。

そして、愛媛では14得点を挙げるという活躍を見せました。

2012年に横浜F・マリノスに復帰、その後はレギュラーに定着してロンドンオリンピック代表にも選出されたのです。

2014年シーズンは、ブラジルワールドカップのメンバーにも選ばれています。

2017年には、これまでの背番号『11』からエースナンバーの『10』に変更となりました。

この『10番』はそれまでは中村俊輔選手がつけていたのですが、中村俊輔選手の移籍にともなって継承したわけです。

しかし、2017年9月23日のヴァンフォーレ甲府戦で右膝を負傷してしまいました。

この怪我は『右膝前十字靭帯損傷』で、サッカー選手の職業病とも言える怪我で、多数の選手がこの怪我をしています。

治りにくく再発しやすい、という厄介な怪我なのです。

この負傷では全治8カ月と診断され、現在もリハビリ中です。

なお、

『ハマのメッシ』という愛称は、中村俊輔選手の命名

だそうです。

ドリブルから切れ込んでいくスタイルが、リオネル・メッシ選手に似ている所かららしいですね。

 

齋藤学の年棒は?

齋藤学選手は、2011年の愛媛FCへのレンタル移籍以外は、横浜F・マリノスに所属していました。

以下の年俸額は、全て横浜F・マリノスのものです。

なお、J2の愛媛FC時代の年俸額は不明です。

  • 2009年:480万円
  • 2010年:600万円
  • 2011年:J2移籍につき不明
  • 2012年:500万円
  • 2013年:1,000万円
  • 2014年:2,000万円
  • 2015年:2,800万円
  • 2017年:4,500万円

日本代表選手ですから、もっと高いと思っていましたが、意外に少ないのですね。

それでもJリーグのトップクラスの選手としては、まずまずといった所でしょうか。

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まとめ

横浜F・マリノスの10番・齋藤学選手が、川崎フロンターレへ移籍となりました。

2016年の中村俊輔選手に続いて、2年連続でエースナンバーの10番をつけた選手が移籍するという、異常な事態なのです。

しかも移籍の理由が、中村俊輔選手も齋藤学選手も、

首脳部に対する強い不信感

というのも異例でしょう。

これは他のチームにとっても他山の石とすべきことだと思います。

とくに、チームのフロントに対しての風当たりが強い、FC東京などのチームにとっては、他人事ではありませんよ。

森重真人選手移籍!などというニュースを見るのは、絶対にいやですからね!

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watari1

好きなもの:野球、アニメ・ゲーム、特撮 趣味:ゲームに没頭すること、文字書き 座右の銘:『なるようにしかならない』 何をどれだけ貯めていようと、命尽きれば人生は終わり。 終わってしまった過去も、何が起こるかわからない将来も、考えるだけ無駄ではないか? そう考えたことがきっかけで、それなら今を楽しむことだけ考えよう、を信念に日々を過ごすようになりました。 自分の興味関心のある出来事やニュースについて、偏屈者ではありますが、思うままに綴っていければと思っています。

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