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ひとりぼっちの意味や語源を紹介!寂しい孤独な人間関係の末路とは

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『ひとりぼっち』という言葉がありますね。

これは孤独な状態を指す言葉ですが、単に『孤独』というだけではなく、もう少し違ったニュアンスもあるようです。

それにしても、『ひとりだけ』とか、『ただひとり』ではなく、なんで『ひとりぼっち』という表現になるのでしょうか。

また、この言葉は状態の表現だけではなく、友達や親しい人がいないなどの、人間関係の濃淡を表す言葉でもあります。

このように、かなり複雑な含みのある言葉が『ひとりぼっち』なのです。

現代社会では、この『ひとりぼっち』、孤独な生活をする人が増えています。

今回はこの『ひとりぼっち』をテーマに、その意味や語源、さらには孤独と幸せとの関係、友達や人間関係の問題など、いろいろと考察してみました。

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ひとりぼっちの意味や語源とは?

『ひとりぼっち』の意味ですが、

ただひとりで、頼る相手も話す相手もなく、孤独な状態

を意味する言葉です。

その語源は元々は仏教の言葉で、

独法師(ひとりぼうし)

という言葉があり、これは特定の宗派・教団などに属さず、あるいはそこから離脱した僧侶のことを指します。

あてもなく世の中をさすらい歩くことを、『独法師の三界坊』とも言うそうですよ。

この『独法師(ひとりぼうし)』が変化した言葉が、『ひとりぼっち』です。

この『ぼうし』が『ぼっち』となったのは、『ぼうし』-『ぼし』-『ぼっち』となったようです。

実際に、方言では『ひとりぼし』と発音する地域もあるそうです。

なお、単語から接尾辞が類推で作られたという説もあります。

というわけで、『ぼっち』は法師のことであり、『ひとりぼっち』とは『独りで生きる僧侶』が、本来の意味だったのでしょう。

また、『それっぽっち』などの『ぽっち』は、『ぼっち』とは別の語源のようですね。

伝説にある巨人の『だいだらぼっち』は、漢字の表記では『大太郎法師』です。

これはジブリの宮崎駿監督の、『もののけ姫』でラストの方に登場しましたね。

『大太郎法師』は『大人(おおひと)』を意味する『大太郎』に法師を付けた言葉で、一寸法師とは真逆の意味となっています。

このひとりぼっちですが、若者言葉では『ぼっち』と略されることが多いようです。

そして、現代は「ぼっちが増えている」などとよく言いますね。

これはある意味では「僧侶が増えている」とうけとることもできます。

僧侶というより、『僧侶的な生き方をする人』が増えているということです。

仏教では『欲を絶つ』ことが大切と言われます。

草食系や絶食系などという言葉がありますが、ギラギラした肉食系とは反対に、お金にせよ物品にせよ、さらには恋愛にさえ、

万事無欲に生きる生き方

をする人が多くなっているのです。

仏教に感化されてこのような生き方をするとも思えませんが、肉食系の物欲色慾に満ちた生き方へのアンチテーゼのような生き方かも知れませんね。

 

孤独と友達と人間関係について

友達がいない、あるいは家族がいないなどの孤独な生き方をする人は、ますます増えているようです。

『生涯独身』などという言葉さえあります。

これが数十年前なら、そのような生き方をする人は、

完全に欠陥人間

とされていたでしょう。

しかし現代では、もうそれは当たり前の生き方であると考えられています。

これは人間関係が希薄になったのか、あるいは単に人生への考え方が変わってきたからなかは、判断が難しい所です。

それでは、現代において友達や家族がいない人は、何かの異常や欠陥があるのでしょうか?

近しい人がいないといっても、その理由により異なるでしょうね。

たとえば、誰かとつき合いたい、友達になりたいといつも願っている人の場合では、そのような孤独な状態の人は、なんらかの問題がありそうです。

しかし、自分の人生を充実したり享受するために時間を取られ、結果として孤独な生活となった場合には、あまり問題はなさそうです。

よく、「とかくメダカと日本人は群れたがる」などと言われますが、

始終人と交わっていないと不安でしかたなく、安心できない

という人こそ、問題がありそうな気がしますね。

『ひとりでの時間を積極的に過ごせる力』は、『孤独力』と呼ばれるそうです。

この孤独力がない人は、始終人と同じことをし、同じように感じることで安全感と安心感を得ているようです。

しかし、何かを深く考え考察するには、やはり一人だけの時間(孤独な時間)が必要です。

他人と笑い騒ぎながらそのような深い考察をするのは、普通の人間にはまず無理でしょう。

筆者は孤独やぼっちをとくに推奨するわけではありませんが、これを排除することには反対です。

孤独に生きる生き方にも、群れて生活する生き方にも、それぞれのメリットやデメリットがあります。

人間関係での安心感・安全感を優先するならば、他人と群れて暮らす生き方を選択せざるを得ないでしょう。

常にスマホで他人と連絡を取り、ツイッターには即時反応してリツイート、他愛のないおしゃべりで時間を費やす。

そのような楽しい生き方ですね。

その場合は、安心感・安全感を得る代償として、自分が真に理想と考える生き方とは異なる方向の生き方になる可能性があります。

それでよいのであれば、誰にも非難されるいわれはありません。

逆に孤独なひとりぼっちの生き方であれば、そういった安心感・安全感は得られません。

そのかわり、自分の内面と向かい合うことにより、自分が真になにをしたいのか、なにをすればよいのかを、考えることができます。

それが楽しい生き方であるかは、その人によって異なるでしょう。

なお、これはあくまでも『可能性の大小』であり、かならずそうなるというものではありません。

それに積極的にどちらかの生き方を選んだわけではなく、

結果としてそうなってしまった

という場合も多いでしょう。

多いというより、大半の人はこのような成り行きでそうなった、というケースかも知れませんね。

もう一つ重要なこととして、孤独・ひとりぼっちの生き方を選んだ場合には、若い内は別ですが高齢になった時には、常に

自分の命がつきる時

と向かい合って生きなければなりません。

孤独な生き方を選んだ場合は、これは非常に深刻な問題です。

老齢になり身体が不自由になったり、あるいは突然の落命の場合には、

家族がいれば介護してくれたり、彼岸に向けて送り出してくれたり

します。

孤独な生き方をしている場合は、そのようなことはまず期待できませんね。

しかし、友人や親族でも、なにかあった場合に必ず助けてくれるのかというと、必ずしもそうではありません。

よほど深いつきあいの心の友なら別ですが、そうでないただの知り合いに等しい友人は、危急の場合はまず頼りになりません。

これは親族でも同じです。

こちらにお金がある時には寄ってきても、お金がなくなればまるで知らん顔です。

ただし、親族といっても親は別です。

親だけは無償の愛で子供を包んでくれます。

筆者がこの親のありがたさを知った時には、とうにその親はなくなっていました。

親不孝ですね・・・

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まとめ

色々と考えさせられる言葉、『ひとりぼっち』。

この言葉の意味は、ただひとりで、頼る相手も話す相手もなく、孤独な状態ということになります。

語源は仏教用語の独法師(ひとりぼうし)が、『ぼうし』が『ぼっち』に変化し、その結果『ひとりぼっち』となったという説が有力です。

現代はこの『ひとりぼっち』の生き方を選ぶ人が増えていますが、それが幸せなのか否かは、なんとも言えません。

それでよいと考えれば幸せなのでしょうし、それではいやだと思えば不幸なのでしょう。

そのあたりは個人の考え方ひとつで、他人があれこれいうようなことではないと思いますよ。

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watari1

好きなもの:野球、アニメ・ゲーム、特撮 趣味:ゲームに没頭すること、文字書き 座右の銘:『なるようにしかならない』 何をどれだけ貯めていようと、命尽きれば人生は終わり。 終わってしまった過去も、何が起こるかわからない将来も、考えるだけ無駄ではないか? そう考えたことがきっかけで、それなら今を楽しむことだけ考えよう、を信念に日々を過ごすようになりました。 自分の興味関心のある出来事やニュースについて、偏屈者ではありますが、思うままに綴っていければと思っています。

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