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北別府学の経歴と成績や記録をチェック!現役時代の年俸はいくら?

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広島のエースといえば誰を思い浮かべるでしょうか?

そこで必ず名前の挙がる人物の1人に、北別府学さんがいると思います。

広島のみで200勝を達成した唯一の投手

であり、

"赤ヘルの精密機械"

とも呼ばれた球団史に名を残す大エースです。

はたして北別府学さんは、現役時代どれほどすごい投手だったのでしょうか?

当記事では、広島の大エース・北別府学さんについて、経歴や成績、現役時代の年俸などを紹介します。

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北別府学の経歴

北別府学さんは、広島一筋19年、球団記録となる通算213勝をマークした大投手です。

精密なコントロールを武器に、並み居る打者を抑えてきました。

とくに中日ファンの筆者からすると、北別府学さんには苦い思い出しかありません。

中日は北別府学さん相手に10連敗以上してしまい、顔も見たくなかったファンも多いはずです。

 

そんな北別府学さんは、1957年、鹿児島県に生まれました。

高校は、宮崎県立都城農業高等学校。

甲子園の予選では、完全試合をするなど頑張っていたのですが、高校3年間の生活で1度も甲子園に出ることなく終わりました。

甲子園に出られなかった北別府学さんは、ドラフト会議では無名の投手でした。

日本ハムの大沢監督は北別府学さんに注目していたそうですが、無名投手のためフロント側に一蹴されてしまいます。

そんな無名の投手を、なんとドラフト1位で指名した球団がありました。

それが広島カープです。

 

広島入団後の北別府学さんは、1年目から先発として1軍で4試合登板、2年目は1軍でローテに定着します。

3年目に初の2ケタ勝利である10勝に到達し、この年からエースとして11年連続2ケタ勝利を果たしました。

1989~90年は10勝に届かず、もう終わりかと言われていましたが、1991年に11勝、92年には14勝を挙げ健在ぶりをアピール。

同時に、200勝を達成し、現在も唯一の広島のみでの200勝投手として、この記録に並ぶ人は現れていません。

 

現役引退後は解説者として、野球に対しては厳しく、日常的な話に対しては和やかに話すキャラクターが人気となり、今でも広島ファンたちからは評価されているんですよ。

選手としても広島一筋、コーチとしても広島以外のチームには行っていない…。

生涯カープを体現しているような人なので、それで好感度が高いのかもしれないですね。

 

北別府学の年度別成績・タイトルをチェック

北別府学さんの現役時代の成績を、年度別に紹介します。

北別府学の年度別成績

1976年 2勝1敗 防御率4.03 WHIP1.36

1977年 5勝7敗 防御率5.52 WHIP1.53

1978年 10勝7敗 防御率4.58 WHIP1.35

1979年 17勝11敗 防御率3.58 WHIP1.19

1980年 12勝5敗 防御率4.04 WHIP1.43

1981年 16勝10敗 防御率3.31 WHIP1.20

1982年 20勝8敗1セーブ  防御率2.43 WHIP1.00 ★最多勝、沢村賞、最優秀投手、ベストナイン

1983年 12勝13敗 防御率3.96 WHIP1.34

1984年 13勝8敗2セーブ 防御率3.31 WHIP1.28

1985年 16勝6敗2セーブ 防御率3.57 WHIP1.33

1986年 18勝4敗 防御率2.43 WHIP1.07 ★最多勝、最多勝率、最優秀防御率、シーズンMVP、最優秀投手、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞

1987年 10勝14敗 防御率4.36 WHIP1.30

1988年 11勝12敗 防御率3.13 WHIP1.20

1989年 9勝10敗防御率5.48 WHIP1.39

1990年 8勝4敗 防御率4.39 WHIP1.31

1991年 11勝4敗 防御率3.38 WHIP1.27

1992年 14勝8敗 防御率2.58 WHIP1.14

1993年 6勝6敗 防御率5.22 WHIP1.39

1994年 3勝3敗 防御率5.68 WHIP1.40

 

通算 19年 213勝141敗5セーブ 防御率3.67 WHIP1.26

すごいとしか言いようのない成績ですね。

通算は213勝141敗と大きく勝ち越していて、

生涯の勝率が6割超え

は、とても素晴らしい数字だと思います。

通算勝率6割超えは、星の数ほど生まれたプロ野球投手の中で、たった18人しかいないのですから、相当すごい記録なんですよ。

年度別成績を見ると、ほぼ毎年のように2ケタ勝利をしていて、安定感があるのがいいですね。

とくに1982年は20勝を達成、1986年は、リーグ優勝に貢献したので、タイトルや表彰がもりだくさんです。

 

北別府学さん最大の武器は、"精密機械"と称された抜群のコントロールです。

このコントロールは、入団時に先輩投手たちのストレートを見た時に、

「速球では敵わんな…」

と思い、コントロールを磨くようにした結果生まれたものだそうです。

コントロールの良さを示すエピソードはいくつかあり、

  • ホームベースの三角形になっている部分に置いた3個の空き缶を3球で全て当てた
  • 引退後投手コーチ時代に出演した『ストラックアウト』でパーフェクト達成

などの伝説があるほか、達川光男さんが

ミットを動かさずに捕れる。

と称賛する精密なコントロールでした。

あまりに素晴らしいコントロールなので、北別府学さん自身がコントロールに絶大な自身を持っていて、審判に文句を言うこともありました。

なので、怪しい判定だったボールの時、その次の投球で球審を試すように、同じコースに投げ続けたのです。

こうやって審判を試すようなことを続けていたため、当時のセ・リーグ審判部長の田中俊幸氏は、

他の投手が先発した試合の倍は疲れた。

と語るほどの精密なコントロールだったのです。

 

北別府学の年俸はいくら?

北別府学さんの年棒は、いったいどれくらいだったのでしょうか?

今でこそ広島は、年棒をそれなりに出すようになりましたが、それでもあまり選手にお金を出さない球団として有名です。

30年ほど前ともなると、もっと年棒が低そうな予感がしますね。

北別府学の年俸推移

1976年~79年:不明

1980年:1380万円

1981年:1450万円

1982年:1950万円

1983年:3300万円

1984年:3040万円

1985年:3700万円

1986年:4660万円

1987年:6800万円

1988年:6800万円

1989年:7200万円

1990年:6600万円

1991年:6100万円

1992年:8300万円

1993年:1億300万円

1994年:1億300万円

最後の2年間は、1億円を突破して1億円プレーヤーとなりました。

実は、北別府学さんが

広島で初めての1億円プレーヤー

なんですよ。

広島の1億円越えの歴史は、球団史に残る大エースから始まったのです。

コーチ時代は、年俸1500万円で契約し、4年間務めました。

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まとめ

広島のレジェンド・北別府学さんは、成績では広島のみで唯一の200勝、年俸では広島初の1億円プレーヤーという、間違いなく広島の球団史に残る人物です。

現役時代は、精密機械と呼ばれるコントロールで名をはせました。

現在の広島は黄金期に入りつつありますが、先発投手は北別府学さんのように、毎年2ケタ勝利をして安定した成績を残している投手がいません。

ほぼ全員が隔年投手になっているので、現在の強さを確固たるものにするために、長年2桁勝利できる安定感ある先発投手が出てきてほしいものですね。

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watari1

好きなもの:野球、アニメ・ゲーム、特撮 趣味:ゲームに没頭すること、文字書き 座右の銘:『なるようにしかならない』 何をどれだけ貯めていようと、命尽きれば人生は終わり。 終わってしまった過去も、何が起こるかわからない将来も、考えるだけ無駄ではないか? そう考えたことがきっかけで、それなら今を楽しむことだけ考えよう、を信念に日々を過ごすようになりました。 自分の興味関心のある出来事やニュースについて、偏屈者ではありますが、思うままに綴っていければと思っています。

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