歴史

北方領土とは?歴史を簡単にわかりやすく年表でまとめてみた!

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北方領土問題

日本の領土問題は、かなり前から問題にされているものが多いです。

その中でも、北海道の北に位置する、

『北方領土』

は、ロシアとの交渉がなかなか進まない土地として、ニュースでもよく見かけますよね?

 

ですが、そもそも、

『北方領土問題とは、どんなものなのか』

ということを知っている人は、少ないように感じます。

 

名前だけは、聞いたことがあっても、

『何が問題になっているのかは、分からない』

という人も、多いのではないでしょうか?

 

そこで、今回は、

『北方領土問題とは、どんなものなのか』

について、紹介していきます。

日本とロシアの、北方領土を巡る問題を正しく知るためにも、ぜひ参考にしてみてください。

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北方領土問題を、歴史年表順で簡単にわかりやすく紹介

北方領土問題 歴史年表順

それでは、北方領土問題について、歴史年表順に紹介していきます。

この問題を話すには、

『第二次世界大戦時』

まで、歴史を遡らなければなりません。

1945年『ポツダム宣言』

1945年と言えば、第二次世界大戦の終盤であり、原爆を投下された年でもあります。

当時、日本は、連合国軍に事実上の降伏勧告である、

『ポツダム宣言』

を受諾しています。

 

このとき、ソ連は、日本が降伏したにも関わらず、

『千島列島を南下』

しました。

 

そして、北方領土と言われる、

  • 択捉島
  • 国後島
  • 色丹島
  • 歯舞群島

を占領したのです。

 

このときに、ソ連が、

『北方領土は合法的に、ソ連の領土となった』

と主張したことが、現在まで続く北方領土問題の始まりになります。

1951年『サンフランシスコ講和条約』『千島列島・南樺太の放棄』

ポツダム宣言から、6年後の、1951年に日本と連合軍は、

『サンフランシスコ講和条約』

を締結します。

 

これにより、日本が領有していた、

  • 台湾
  • 朝鮮半島
  • 千島列島
  • 南樺太

は放棄されることになります。

ここまでは良いのですが、ここから本格的に北方領土問題が加速していくのです。

 

日本が放棄した中にある、

『千島列島が、どこまでを指しているか』

で、日本とソ連で認識の相違が起こります。

 

日本側は、

  • 歯舞・色丹が、北海道の領土
  • 択捉・国後は、昔から日本の領土

という主張をしましたが、

『全ての島が日本の領土とは言っていない』

のです。

 

つまり、

『当時の日本も、北方領土がどこまでかは認識していなかった』

ということです。

また、サンフランシスコ講和条約にも、はっきりとした記載がなく、

『東西冷戦の真っ只中』

でもあったため、サンフランシスコ講和条約の場に、ソ連の姿はありませんでした。

 

これにより、事実上の、

『片手落ち講和』

となったため、北方領土問題は中途半端な形となってしまいました。

1956年『日ソ共同宣言』

サンフランシスコ講和条約から5年後、日本とソ連の間で、

『日ソ共同宣言』

が行われます。

 

ここで問題になったのは、本来、

『平和条約が結ばれるはずだった』

はずなのに、共同宣言という名称になってしまったことです。

 

その原因は、北方領土問題にあり、日本はこのとき、

『北方領土全ての島を返還すること』

をソ連に求めました。

 

ですが、このときソ連は、

『歯舞・色丹のみを返還する』

ことを主張したのです。

 

結局、ソ連との交渉は上手くいかず、

『共同宣言』

という形に落ち着きました。

ですが、このときソ連は、宣言の中に、

『歯舞・色丹は返還するが、それは平和条約が結ばれてから』

と、明記したのです。

 

つまり、

『正式に平和条約が締結されないと、ちゃんと返還しないよ』

という意味で、宣言の中に明記したということです。

1972年『沖縄返還に伴う北方領土交渉』

日ソ共同宣言以降、北方領土領土問題が進展することは、ほとんどありませんでした。

ソ連側は、

『領土問題については解決済み』

という見解を出し、日本は引き続き、

『北方領土四島の返還』

を主張し続けていました。

 

この後、北方領土問題が動いたのが、1972年に行われた、

『沖縄返還』

のときです。

沖縄返還に伴い、次は北を取り戻すという機運が高まっていました。

 

実際、ソ連側が中国との関係悪化を受け、日本が米・中と歩み寄るのを嫌い、

『日ソ間が歩み寄る』

といった雰囲気が出てきていました。

 

ですが、

  • 東西冷戦の悪化
  • 日本とアメリカとの接近

などが重なったため、日ソ間の歩み寄りは再び停滞しました。

1980年代後半『北方領土問題が正式に認識された』

再び、北方領土問題が動きだしたのは、ソ連の、

『ゴルバチョフ書記長』

が、北方領土問題を正式に認めたときからです。

 

ここで初めて、本格的な領土問題として、

『日ソ間で話し合わなければならない』

という認識を一致させることになります。

1993年『東京宣言』

1991年にソ連が崩壊し、新たにロシア連邦が誕生しました。

このときに、ロシア大統領になった、

『エリツィン大統領』

と、当時、日本の総理大臣だった、

『細川護熙』

が署名した、東京宣言というものがあります。

 

この宣言には、

  • 北方四島が、どちらの領土なのかをはっきりとさせる
  • 領土問題を解決して、早期に平和条約を締結させる

ことを、日本とロシアが合意したことが、明記されています。

1990年代

1996年に、

『日ソ共同宣言40周年』

を迎えたことにより、北方領土問題の解決に向けた機運が高まっていきました。

 

当時、総理大臣を務めた、

『橋本龍太郎』

は、北方領土問題以外で、ロシアとの関係改善に努めました。

これにより、北方領土周辺の

『安全操船協定』

を結ぶことに成功します。

 

1997年には、ロシアに対し、

  • 信頼
  • 相互利益
  • 長期的な視点

という、ロシア三原則を発表し、

『勝者も敗者もない解決』

を目指すとしています。

 

また、同年11月には、非公式会談である、

『クラスノヤルスク合意』

を行い、2000年までの、平和条約締結に向けた協議を進めることを宣言しています。

 

ここまでは良かったのですが、この後、ロシアに対して提案された、

『川奈提案』

によって、北方領土問題解決は停滞することになります。

 

川奈提案とは、

  • 択捉島とロシアのウルップ島に国境線を引く
  • 四島の状況を当分の間、現状維持する
  • ロシアの施政を、合法的なものと認める
  • 歯舞・色丹の即時返還はせず、返還要求に留める

といった、当時の日本では、最大限の譲歩をした提案でした。

ですが、ロシア側はこれを譲歩とは認めず、話し合いが難航してしまいます。

そうしている内、

  • 橋本総理が、参院選の敗北の責任を取り辞任
  • ロシアの、エリツィン大統領も体調悪化のため辞任

となり、領土問題解決の機運が、鳴りを潜めてしまいます。

2001年『イルクーツク声明』

2001年に、ロシアと日本の間で、北方領土問題を話し合った、

『イルクーツク声明』

が発表されます。

 

このイルクーツク声明は、

  • 日ソ共同宣言を、平和条約締結の出発点とする法的文書とする
  • 東京宣言にあったように、領土問題を早期解決し、平和条約締結を目指す

といった内容でした。

この後、日本側から、

  • 歯舞・色丹の返還を先行させる
  • 択捉・国後の返還は、交渉次第で方針を決める

との提案がありましたが、日本国内から、

「択捉と国後は、諦めることになるのではないか」

という意見があったことから頓挫し、結局進展はありませんでした。

2013年『日露パートナーシップ共同声明』

この年、日本の安倍総理と、ロシアのプーチン大統領の間で、

『日露パートナーシップの発展に関する共同声明』

が発表されます。

これは、プーチン大統領が10年ぶりに、日本へ公式訪問したときに発表されたものです。

 

ここでは、

『戦後67年を経て、未だに平和条約締結に至っていないのは異常』

として、北方領土問題の早期解決と平和条約締結に向けた、

『交渉再開の機運』

が高まっていきました。

2016年『リオ会談』

北方領土問題の解決に向けた機運が高まったかと思われましたが、2016年に行われた、

『リオ会談』

では、解決への話し合いは継続するとしても、明確な解決に繋がる声明は発表されていません。

 

また、ロシアのラヴロフ外相からは、

『北方領土問題の前に、平和条約を締結するべきだ』

と言う見解が出されているなど、北方領土問題は後回しにされそうな動きが見られています。

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まとめ

『北方領土とは?歴史を簡単にわかりやすく年表でまとめてみた!』、いかがでしたか?

今回のまとめとしては、

『半世紀以上続く北方領土問題は、まだまだ解決の糸口が見えていない』

ということが言えるでしょう。

 

ロシアとの交渉が継続されているだけ、以前よりマシな状況にはなっていますが、

『先行きは、まだまだ不明』

というのが、率直な見解です。

 

今後、どのように北方領土問題が動いていくのかはわかりませんが、

『まだまだ時間が掛かる』

ことだけは、間違いなさそうです。

今後の動きが気になる人は、ニュースなどをよく確認しておきましょう。

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kenimamebo

在宅ライターとして、日々研鑽を重ねる毎日を送っております。 座右の銘は、『風林火山』。 孫子から始まり、武田信玄公の旗指物にも書かれたこの言葉通り、様々な状況でも行動できる人物になるのが目標です。 しっかりと記事を書き続けていきますので、よろしくお願い致します。

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