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千羽鶴を被災地に送る意味とは?迷惑な理由と評判をチェック!

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大きな災害が起こると、その度に問題となるのが、千羽鶴です。

贈る方は、善意や気持ちを込めて送っているのでしょう。

しかし、実際はただの善意の押し付けにしかすぎず、燃えるゴミとして処理される紙くずを大量に送りつけているだけの迷惑行為なんですね。

個人の入院の際でもそうなのですが、実際のところ、千羽鶴って送られても迷惑なだけなんです。

にもかかわらず、善意を踏みにじるだとか的外れな批判をする人が多いのだそうで…。

どうも偽善と独善を間違えている人が多いようにも思います。

当記事では、千羽鶴を被災地に送ることについて、その行為が迷惑な理由や、本当に送るべきものが何かを紹介していきます。

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千羽鶴を被災地に送る意味

大きな災害が起こると、毎回のように話題になるのが、被災地への千羽鶴です。

千羽鶴というのはもともと、

佐々木禎子という原爆症にかかってしまった少女が、折り鶴をもらったのをきっかけに、自身の延命のために毎日折り続けていた

のが始まりです。

本来の意味だと、千羽鶴というのは健康や長寿を祈って、入院者へ送られるものなんですよね。

それなのに、なぜか災害が起こると被災地に千羽鶴を送る人がいると聞きます。

想いがこもっていようが、現実は燃えるゴミにしかならない、役に立たない紙くずをどうして送るのでしょうか?

やはり、千羽鶴が平和のシンボルだからでしょうか?

ルーツこそ、原爆症の少女が長生きを祈って折り続けたものではありますが、その話が広まって平和のシンボルになったといわれています。

そのため、被災地の平和を祈る意味を込めて、被災地に千羽鶴を送るのでしょうね。

そして、この被災地に千羽鶴を送るという行為が、迷惑行為だとしてネット上では批判の声があがっているのです。

なぜ千羽鶴を送る行為というのが、迷惑になるのでしょうか?

 

被災地への千羽鶴が迷惑になる理由

なぜ、被災地に千羽鶴を送るのが迷惑行為になってしまうのでしょうか?

色々説明すると長いのですが、まず第一に、

被災地にとっては燃えるゴミが増えるだけ

この一言に尽きます。

実際のところ、千羽鶴が送られたところで、被災地にとってはただの紙くずでしかなく、何の役にも立ちません。

厳しい現実ですが、ゴミでしかないのです。

古着といった、とても使えそうにないものや、個人からばらばらに送られてくる支援物資ですら、現場の人手不足によって迷惑だと言われています。

これらより、さらに役に立たない千羽鶴をもらったところで、意味があるのでしょうか?

ただでさえ運搬用の車や人手が不足しているのに、役に立たない千羽鶴がたくさん送られる…。

千羽鶴は被災地において何の役にも立たないうえに、かさばるものが増えて現場の運搬能力を低下させ、必要な支援物資を届ける妨げになってしまうのです。

まぁ、大半の千羽鶴はあまり被害が大きくなかった場所へ集まり、そこで保管された後に指定の場所へ送られたり、廃棄処分されるようですが…。

そもそも、千羽鶴は最終的に廃棄処分になったりするわけで、その時点でいかに不要なものかよくわかると思います。

処分するのにも人手や費用が必要ですしね。

むしろ余計な負担を増やしている意味では、ありがた迷惑なのです。

これで千羽鶴という存在自体が、被災地にとっては負担にしかならないということがわかったかと思います。

 

そもそもの話、復興への祈りを込めるなら、それを義援金という形にしても同じです。

また、想いをわざわざ形にしなければいけない必要もありません。

復興への想いや、祈りを伝えたいだけなら、動画サイトにその思いを語って投稿するなり、ブログを開設して自身の思いを記事として綴ればいいだけのことです。

このように、他に何だってやりようがあるのに、なぜわざわざ迷惑行為にしかならない千羽鶴を被災地に送ってしまうのでしょうか…。

 

被災地からしたら迷惑なのにもかかわらず、自分の善意を押し付けて千羽鶴を送るなど、それはもはや独善でしかありません。

それでも、どうしても千羽鶴が折りたい人がいるかと思います。

その場合、千羽鶴は折るだけにしましょう。

千羽鶴は祈りを込めて折るものなので、

わざわざ送る必要はありません。

千羽鶴のルーツを考えれば、自分で折って自分の部屋に飾っておけばいいだけの話なのです。

 

これまで、千羽鶴を被災地に千羽鶴を送るというのがいかに迷惑行為であるかを解説してきました。

…が、1つ大事なのは、千羽鶴を折ること自体は悪い行為ではないということです。

それをわざわざ必要としていない被災地に送ってしまい、ゴミを増やしてしまう結果につながる"送る"という行為が迷惑になるのです。

どうしても千羽鶴を折りたいのなら、何度も言いますが、折るだけにしておき、完成したものは自分の部屋に飾っておきましょう。

ここで、

「かさばるからイヤだ」

と思った人は、その時点で偽善者です。

祈りを込めたものなのに、自分の部屋に置いておくと邪魔…。

と考えたその時点で、千羽鶴を邪魔なものだと自分が認識してしまっているわけです。

自室でさえ邪魔でかさばると思ったものならば、状況が大変な被災地に送ればどうなるかが理解できるでしょう。

 

ちなみに、本当に被災地に送ったほうがいいものというのは、実は物資などではありません。

義援金なんです。

なぜかというと、個人の物資支援も、実は千羽鶴同様、送られて困るものの1つ。

現場は人手不足で、ただでさえ人命救助や物資手配などでいっぱいいっぱいなのに、そこに予定にない個人からの支援物資が届くと、物資をチェックしたり捌く時間的余裕がないのです。

現場は、目の前の被災地の対応で手いっぱいな状態なので、個人からの物資を送る、その確認のための電話をかける行為は、

被災地がある程度落ち着いてから

にしましょう。

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千羽鶴を被災地へ送ることへのネット上の評判

千羽鶴を被災地に送るという行為は、ネット上では批判の声が多く挙がっています。

やはり、その多くが、

「千羽鶴があっても何かなるわけではない」

「東北でボランティアした時、送られてきた千羽鶴の置き場所に困った」

「善意の押し付けはやめたほうがいい」

「被災者を思いやるのなら、折り鶴よりお金が何よりいい」

と、千羽鶴を送るのが迷惑行為であることを指摘しています。

しかし、実際に被災地の人から

「千羽鶴はいらない」

というコメントが発された際に、なぜかそれに激怒するという意味不明な人たちも、世の中にはいるみたいですよ。

「善意を踏みにじるのか」

「送る側の気持ちも考えろよ、支援する気がなくなる」

「千羽鶴は実用的でないけど、そこには善意や思いがあるだろ」

「折り手の気持ちも考えて」

などと、なぜか逆ギレをしている人たちがいるのです。

さすがにこれには、筆者も呆れて何も言えません。

仮にあなたが空腹に困っていたいたとして、行き倒れ寸前だった時、大きなお弁当を持っている人を見かけ、

「実は数日何も食べられていなくて空腹で…」

と助けを求めた時、

「それはなんということだ、一刻も早くあなたが救われるよう、その気持ちをお祈りします」

と言って折り鶴を折られて、それを渡されたらどう思いますか?

「いや、そこはその食べ物分けてくださいよ…!」

と思うのではないでしょうか。

結局、自分が経験したことがないから、生活が困難で今を生き抜くのが大変な人たちに対して千羽鶴を送ろうとして、それを指摘されると逆ギレができるのです。

 

大体、上記のような逆ギレをする人は偽善者ですね。

善意というのは、他人のためを思う親切心のことを言います。

それをわかっていて、先ほど紹介したコメントのように、

「送る側の気持ちも考えろよ」

などというなら、まず送る側のことを考えろ、ではなく、先に送られる側のことを思いやれないのか?と筆者は感じるわけです。

相手を思いやっての行動ならば、何が送られて嬉しいか、何が来ると迷惑か…。

ということを考えるものではないでしょうか。

そういう相手への思いやりがなく、『千羽鶴は迷惑だからやめよう』と言われて逆ギレするというのは、所詮はうわべだけの善意…偽善でしかありません。

本当に善意のある人なら、まずしっかり調べて何が喜ばれるかをリサーチして送るはずですし、指摘されれば、

「そうだったんだ、申し訳ない。義援金の寄付などをおこないます。」

「折ったものは自分の部屋に置いて復興をお祈りします。」

などと改めて復興の手助けをしようと思うはず…。

それをしないで、送る側の気持ちを否定された!と喚くのは、

その人の中で被災者を思いやる気持ちより、『支援した自分が感謝されたいという気持ち』の方が強くなっている

わけであり、感謝されることで悦に入りたいのが本当の目的になってしまっているのです。

いや、この場合、本当に大変な状況にある、送られる側の気持ちを考えられていないので、善意を勝手に押し付けている独善者というべきでしょうか。

そもそもの話、

"千羽鶴を送る"

という行為に対してやめようと言っているわけであって、その人の思い自体を否定しようとしているわけではありません。

最初の内容に戻りますが、被災者を思うのなら、その思いをSNSなどに綴るか復興を祈って鶴を折り、自分の部屋にそれを置いておけばいいだけの話なのです。

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まとめ

被災地に千羽鶴を送る行為は、正直、慌ただしく目の前の復興作業で手いっぱいな被災地にとって、迷惑でしかありません。

個人での支援物資も同様で、全てが落ち着いてから送るようにしましょう。

また、何も復興への想いを伝えたいなら、千羽鶴をわざわざ送る必要がないわけで、さらに千羽鶴にする必要もありません。

迷惑行為となっては、それは善意でもなんでもなく、ただの悪意でしかありません。

折り鶴は自分の家に飾るか、被災者への思いやりをブログなどで綴るほうがよほどかマシです。

一番いいのは、どんな用途にも使えて復興のためになる義援金の寄付ですから、何かしたいと思っている人には、義援金の寄付をおすすめします。

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watari1

好きなもの:野球、アニメ・ゲーム、特撮 趣味:ゲームに没頭すること、文字書き 座右の銘:『なるようにしかならない』 何をどれだけ貯めていようと、命尽きれば人生は終わり。 終わってしまった過去も、何が起こるかわからない将来も、考えるだけ無駄ではないか? そう考えたことがきっかけで、それなら今を楽しむことだけ考えよう、を信念に日々を過ごすようになりました。 自分の興味関心のある出来事やニュースについて、偏屈者ではありますが、思うままに綴っていければと思っています。

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