時事 著名人

栗城史多が指を失った原因と命がけでエベレスト登山をする理由

投稿日:

2018年5月21日に、とても残念なニュースが入ってきました。

登山家の栗城史多(くりきのぶかず)さんが、

8度目のエベレスト登頂に挑戦中に亡くなった

という訃報です。

彼は、35歳という若さでこの世を去ってしまいました。

 

登山とは常に危険と隣合わせで、一瞬も気が抜けないものです。

怪我も擦り傷や切り傷などではなく、手足の指を失うことだってあります。

どうして人は、命を懸けて山を登るのでしょうか。

 

今回は、栗城史多さんが指を失った原因と、命がけでエベレスト登山をする理由についてまとめていきます。

スポンサーリンク

アドセンス

栗城史多が指を失った原因は?

栗城史多

栗城史多

名前:栗城 史多(くりき のぶかず)

生年月日:1982年6月9日

出身地:北海道瀬棚郡今金町

職業:登山家、起業家(株式会社たお代表取締役)

栗城史多さんは、札幌国際大学で山岳部に入部。

2002年の年末に、中山峠から小樽市の銭函まで、1週間程度の雪山年越し縦走を行っています。

その後、2004年5月21日にマッキンリー登頂を目指して初の海外旅行へ行き、登山家となったそうです。

 

栗城史多さんは、登山をしながら、他にも

『冒険の共有』

をテーマに、全国で公演活動を行っていました。

そんな彼の登山は、とても過酷なものでした。

 

2012年10月。

4度目のエベレスト登頂挑戦の際になんと、

凍傷で両手の指9本を失い切断

することになりました。

実は、指を失った原因は、『自分のミス』とも言われているものだそうです。

 

この凍傷とは、一体どのようなものなのでしょうか。

凍傷は『寒冷』によって起こります。

凍傷は重症化すると、

壊死を起こし切断術

を必要とするくらいの怪我です。

 

この原因のほどんどは、ヒューマンエラーだといい、対策をきちんとすれば、凍傷は防ぐことが可能でもあるそうなのです。

凍傷にならない為には、

  • 血液循環を阻害しないゆったりとした服装
  • エネルギーを補給し続ける
  • こまめに凍傷の初期症状がないか確認

これらのことが必要だといいます。

血流が悪くなると、心臓から遠い末端の手指などが冷えてくるため、身体を締め付けすぎない格好が好ましいということ。

さらに、エネルギーとなる栄養素を身体に取り込み、熱を生み出すことで体温を高める必要があります。

また、凍傷の初期症状である

『冷たい、痛い』

という感覚がないかを、こまめにチェックすることが大事。

初期症状があらわれたら、エネルギーを補給し身体を温めることや、凍傷が悪化する前に下山することが重要です。

 

では栗城史多さんは、これらのことを怠ってしまったのでしょうか?

 

どうやら、なんと彼は、

スマホをいじるために穴あき手袋を着用していた

というのです。

栗城史多

栗城史多

彼は、

登山中にインターネットで生中継

をしていたということがあり、そのためにエベレスト登山で穴あき手袋を着用。

凍傷の症状もでていたけれど、下山せずに登頂を続けてしまったことが失敗ですね。

 

 

結果、指を9本も失った…。

 

想像するだけで、とても恐ろしいことです。

そのときの様子を観たのですが、これが本当に衝撃的でした。

凍傷になってしまった指の部分は、黒くなってしまい、もう機能していないことが、よくわかります。

 

その後、指の再生治療として様々な治療を行いましたが、どれも結果がでなかったようです。

現在の医療でも治せない凍傷は本当に恐ろしいものですね。

 

栗城史多が命がけでエベレスト登山をする理由とは?

エベレスト

エベレスト

栗城史多さんはエベレストに、

  • 単独無酸素登頂
  • 頂上からのインターネット生中継

を目標として登っていたといいます。

 

彼のエベレスト登頂の歴史は、

2009年9月チベット側から1度目の登頂・敗退。

2010年9月ネパール側から2度目の登頂・敗退。

2011年8月 - 10月ネパール側から3度目の登頂・敗退。

2012年10月に西稜ルートから4度目の登頂・敗退。

2015年の5度目の登頂・敗退。

2016年6度目の登頂・敗退。

2017年7度目の登頂・敗退。

というもの。

2018年5月に8度目となるエベレスト登山の際、途中で体調を崩して登頂を断念。

下山中の2018年5月21日に、キャンプ2近くで亡くなっていました。

 

彼が、命をかけてエベレストに登っていたことには、理由がありました。

栗城史多さんは、大学の山岳部に入部し、3年生になると

『海外の山を一人で登ってみたい』

という想いが強くなったそう。

2004年に北米最高峰のマッキンリーに単独で挑戦することを決めた際

「栗城には登れない」

「なんて馬鹿なことを」

と言われたことが悔しかったといいます。

 

そのことは、登山をしているときよりも孤独で、

『否定という大きな壁』

を感じることに。

 

2008年にヒマラヤのチョ・オユーに1度目は敗退し、その後再挑戦すると今まで彼を批判していた人が、

「ありがとう」

といってきてくれたそう。

その言葉によって、彼は

僕にも伝えられることがあるんじゃないか

と思ったそうです。

2009年からエベレストへの道のりを『冒険の共有』としてリアルタイム配信を開始。

これは、実際にエベレストに登っている姿を見せて

言葉を直接聞いてもっと一緒に山を登ってくれる人を増やしたい

否定の壁をなくしたい

という思いからだったといいます。

 

栗城史多さんにとって、本当に力になるのは

自分を応援してくれる人が増えること

なのだそう。

自分の挑戦を見て、それに共感してくれた人たちがくれる応援の言葉をみると、

その人たちが一緒にエベレストを登ってくれているような気持ち

になるといいます。

常に生命の危機が隣り合わせの極限状態の登山の中で、

応援が自分を支えてくれた

場面が何度もあったそうです。

 

彼の挑戦は、

多くの人たちの支えがあり、仲間がいてくれること

によってできました。

彼は、

「伝えるということは自分を支えてくれる人を増やすことに繋がる」

と語っています。

 

栗城史多さんは、自分が山を登る姿から見えない壁に立ち向かっている人へエールを送り、自分も皆からエールをもらっていたのです。

 

自分、または誰かに勝手に限界を決めて、

無理だろう

と決めつけるのはよくないことだと彼は伝えています。

日本はとくに、失敗や挫折が怖い空気があり

自分には出来ない

と、勝手に不可能と決めつける人が多くいると感じていたそう。

しかし、『冒険』には失敗と挫折がつきもの。

栗城史多さんは、

山を登るという冒険

を通して、

失敗と挫折の分だけ学びと成長がある

と身を持って感じてきた人です。

そういった彼の経験談を聞くと、冒険をしなくてはという気持ちになりますね。

スポンサーリンク

アドセンス

 

まとめ

いかがでしたか?

今回は、栗城史多さんが指を失った原因と命がけでエベレスト登山をする理由についてまとめました。

 

彼が指を失った理由は、

重度の凍傷

でした。

そして、その重度の凍傷になってしまった原因は、

スマホをいじるために穴あき手袋を着用していた

という衝撃的な理由だったのです。

とてもつもなく寒い環境に行くのに、わざわざ穴あき手袋を着用したわけは、

登山中にインターネットで生中継

するため。

 

栗城史多さんが、こうまでして命がけでエベレストに挑戦していた理由は、

言葉を直接聞いて、もっと一緒に山を登ってくれる人を増やしたい!

否定の壁をなくしたい!

という想いからでした。

彼は、見えない壁に立ち向かう人たちに、自分自身が壁に立ち向かうことでエールを送り、同時に観てくれている人たちからエールをもらっていました。

 

何かをなすとき、1人ではないこと、1人ではできないことを伝えたかったのでしょう。

『応援してくれる誰かがいること』

それ以上に心強いものはありませんね。

 

命を落としてしまって、とても残念ですが、栗城史多さんは私達に多くのものを伝え、残してくれました。

彼の伝えたかったことが、多くの人に伝わるといいなと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

アドセンス

アドセンス

あわせて読みたい

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

jasm1ne

好きなもの:ピクニック。BBQ。スタバ。 ある日の休日の過ごし方:大好きな唐揚げのNo.1を決めるべく、唐揚げの旅に出る。(順位は時期によって変動) 何か気になること、欲しいものがあればすぐにネットで調べます。 ネットの情報は全てが正しいわけではないので、正しい情報・タメになる情報を取捨選択して書いていきます。

-時事, 著名人

Copyright© My News23 , 2018 All Rights Reserved.