歌手

西城秀樹の若い頃と妻や子供をチェック!名曲や歌唱力の評価を考察

更新日:

先日、歌手・西城秀樹さんが心不全でこの世を去ったという訃報が入り、多くの報道番組でも、大きくそのニュースが取り上げられました。

歌唱力も高く、当時では激しいアクションある振り付けなど。

アイドルらしからぬパフォーマンスで多くのファンを惹きつけた西城秀樹さん。

10~20代は、ちびまる子ちゃんの『走れ正直者』という楽曲で、彼を知った人も多いらしく、若い頃の西城秀樹さんを知らないんだとか…。

そこで本記事では、若い頃の西城秀樹さんを振り返り、彼の経歴はもちろん、名曲や歌唱力の評価、妻・子供のことをまとめていきたいと思います。

アドセンス

スポンサーリンク

故・西城秀樹のこれまでの経歴

 

2018年5月16日。

歌手・西城秀樹さんが急性心不全でこの世を去り、翌朝のニュース番組で訃報が一斉に流れました。

当日、筆者もその訃報を目にしていたのですが、ショックを受けたというより、

その日が来たか…

と、どこか納得したような冷静な自分がいたような気がします。

西城秀樹さんは、これまでも2度の脳梗塞にかかり、その都度、大変なリハビリを乗り越えライブに出るまで回復してきました。

しかし、晩年の彼を見ていると、心の片隅で

覚悟はしておかなければいけない

と思う部分がありました。

そのため、筆者自身、心の準備はできていたのかもしれません。

もちろん、まだ60代ですし、もっと長く生きてほしい気持ちはあるのですが、あの苦しいリハビリしている姿を見ると、

もう、無理はしないで…

と思ってしまう部分もあって、複雑な想いですね。

さて、西城秀樹さんが亡くなったことは実に寂しいことですが、改めて、彼の経歴を振り返ってみたいと思います。

西城秀樹の功績・経歴

西城秀樹さんは、1955年4月13日、広島県広島市生まれの63歳。

幼少の頃、ジャズギターが趣味だった父の影響を受け、ジャズスクールでドラムを習っていた西城秀樹さん。

小学5年生の頃に、兄とバンドを組んで音楽活動していたそうです。

まさに、漫画『坂道のアポロン』で登場するキャラクター川渕千太郎を幼くした印象の音楽少年だったと言えるでしょう。

西城秀樹に訪れた運命の出会い

そんな西城秀樹さんが高校時代、ジャズ喫茶でバンド出演中に、運命の出会いを果たします。

たまたま歌唱していた西城秀樹さんは、芸能事務所からスカウトを受けることに…。

この頃、西城秀樹さんは歌うことに全く興味を持っていなかったそうです。

しかし、尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』のヒットを機にスカウトを受けた…。

尾崎さんもジャズに精通していた歌手でしたし、この頃から歌謡界も変わりつつあったことが、西城秀樹さんの芸能界への関心を高めたのでしょう。

西城秀樹メジャーデビュー

そして、広島から上京。

1972年に『恋する季節』で歌手デビュー。

当時、

『ワイルドな17歳』

として、アイドルとしては珍しい少しオーバーなアクションでファンを熱狂させ始めていきました。

そして、野口五郎さん、郷ひろみさんと共に、『新御三家』の一人として、日本の歌謡界を牽引する存在となっていくわけです。

"ヒデキ"という愛称で、若い頃から多くのファンから慕われていた西城秀樹さん。

一人のアイドル歌手として、数々のヒット曲(後ほど名曲に関しては紹介していきます)を輩出。

後にレコード大賞・歌唱賞なども受賞します。

一方、『寺内貫太郎一家』で俳優デビューを果たし、名実ともに多くのファンから愛されるアイドル歌手として飛躍を遂げていったのです。

 

世界的なスターまで押し上げられた西城秀樹

そんな中、西城秀樹さんを世界的にスターに押し上げた名曲との出会いが訪れました。

その楽曲とは、もうみなさんが知っている『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』です。

1979年、この楽曲をリリースすると、西城秀樹さんはパフォーマンスの際に『Y.M.C.A.』の4文字を全身で表現。

それが世界中に広まったのです。

J1川崎フロンターレのホームでの試合のハーフタイムショーとして、西城秀樹さんが『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』を熱唱したこともありました。

一つの楽曲が、川崎という街と、J1・川崎フロンターレを絆で結びつけ、さらには世界とも大きく繋がった…。

その勢いは、坂本九さんの名曲『上を向いて歩こう』が、世界中でカヴァーされていくのと同じような感覚と言っても良いかもしれませんね。

そして、爆発的な人気を得た西城秀樹さんの勢いは、まだまだとどまることを知りませんでした。

幅広い西城秀樹の活躍…

俳優・歌手として活躍することはもちろん、キャスターとしても情報番組に出演。

その他、アニメ『ちびまる子ちゃん』では主題歌『走れ正直者』が大ヒット!

当時の大人たちだけではなく、若い世代や子供にまで西城秀樹さんの魅力が広まり、世界に誇れる大スターへと躍進していったのです。

そんな西城秀樹さんは、2000年のシドニーオリンピックには日本代表壮行試合で、国歌斉唱を歌うなど日本を代表とするスターへ仲間入りを果たします。

プライベートも充実した西城秀樹

そして、プライベートでも、2001年には一般人女性の槙原美紀さんと結婚。

2002年には第一子となる長女にも恵まれ、公私共に順風満帆な人生を歩んでいかれたのです。

しかし、そんな西城秀樹さんに悲劇が訪れます。

突然訪れた悲劇…

2003年6月、公演先の韓国で脳梗塞を発症し倒れてしまうのです。

これには多くのファンが心配しましたが、西城秀樹さんは不屈の闘志で言語障害が残るものの、なんとかカムバック。

そんな悲劇が訪れた年に、二人の男の子にも恵まれ、この子たちのためにも生きることに闘志を燃やしていく西城秀樹さん。

次第に病状も克服し歌手としても復活。

ただ元気な姿が見られていた中、2011年、再び悪夢が訪れてしまうのです。

病院にて再び脳梗塞と診断されてしまった西城秀樹さんに、右半身麻痺・言語障害が残り、過酷なリハビリ生活が訪れることに…。

西城秀樹の不屈の闘志

しかし、西城秀樹さんは負けませんでした。

どんなに苦しくても、

「子供たちとハワイに海外旅行に行きたい。」

「歌手として再びステージに立ちたい。」

その想いを胸に、過酷なリハビリに耐え、見事に、その二つの夢を叶えたのです。

西城秀樹の最期…

しかし、そこで、力尽きてしまったのか、2018年4月25日、自宅で家族団らんの最中に倒れてしまい緊急入院。

懸命に治療が行われたのですが、5月16日、急性心不全で63年の人生に幕を閉じたのです。

 

以上が、西城秀樹さんの63年に渡る人生の経歴です。

誰よりも頑張り続けた西城秀樹

正直、まだまだやりたいことがたくさんあったと思います。

この世から旅立つには早すぎると、誰もが想うかもしれません。

ただ本来なら、2003年に脳梗塞を発症した時に命を落としたとしてもおかしくない状況だったのに、彼はそこから何度も蘇りました。

それも、過酷なリハビリ治療を受けながら…。

子供のことは別にしても、ファンのワガママで、これ以上、西城秀樹さんを苦しめたくはないのが率直なところではないでしょうか。

こんなにファンや家族を愛し、彼ら・彼女らのために必死に生き続けてきた…。

そんな西城秀樹さんだからこそ、今は安らかに眠ってほしいですね。

西城秀樹を失った寂しさ

もちろん、西城秀樹さんのような人が、この世からいなくなることは本当に悲しく寂しいことです。

しかし、これ以上を彼に求めることは、あまりにも酷なことです。

なので、これからは、

西城秀樹さんが多くのファンに与えてくれた元気を胸に刻み、今後のそれぞれの人生を生きて行くべき…。

そう感じた次第です。

改めて、西城秀樹さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

西城秀樹の名曲や歌唱力の凄さを紹介

西城秀樹さんは、デビュー当初から、作詞家・阿久悠、作曲家・三木たかしなど、数々の作詞家・作曲家と出会い、名曲を紡ぎあげてきましたよね。

若い頃から晩年まで、さまざまな楽曲を歌い続け、世代を超えた多くのファンのアイドルとして活躍し続けていました。

では、そんな西城秀樹さんの名曲をいくつかピックアップして紹介しながら、彼の歌唱力の凄さ・評価も、あわせて紹介していきたいと思います。

傷だらけのローラ

1974年8月25日に発売された、西城秀樹さんの10枚目のシングル『傷だらけのローラ』。

『ローラ』という女性に呼びかける印象の強い楽曲です。

まさに西城秀樹さんの若い頃の代表的な名曲ですよね。

ちなみに、この楽曲に登場するローラという女性は、まさにタイトルにある通りの女性なんだと思います。

おそらく、傷だらけの状態となり、人を怖がって震え上がっているのでしょう。

そんなローラに対して、主人公の僕は、救いの手を差し伸べ、愛を語り始めていくところから曲がスタート…。

その想いが、西城秀樹さんの熱唱を通じて、歌いあげられていくわけです。

これが、晩年の頃の西城秀樹さんが歌っているのであれば、まだ理解もできます。

しかしこの曲を歌っていたのは、まだ二十歳前の若い頃の西城秀樹さんです。

一部では、抒情(じょじょう)たっぷりに歌い上げる彼の歌唱力が抜群に良く、その世界観に引き込まれるなんて話もあるみたい…。

そこまで歌い上げ、楽曲の世界観を感じさせるのは、それだけ彼の歌唱力が高かった証と見て良いと思います。

そして、今もなお、多くのファンから愛され歌われ続けていく…。

それが名曲・傷だらけのローラなのです。

ブーメランストリート

ブーメランストリートは、1977年3月15日に発売された、西城秀樹さんの20枚目のシングル楽曲。

この楽曲の最も印象に残るポイントは、前サビの

「ブーメラン・ブーメラン…」

と繰り返しながら、腕をブンブン振り回すオーバーリアクションですね。

過去の映像などを見ると、そのインパクトは絶大!

そこに西城秀樹さんの熱唱が重なり、強烈なインパクトとして脳裏に焼き付いてしまうのです。

前サビから一気に盛り上がる楽曲なので、ぜひ、みなさんも一度聴いてみてくだい。

YOUNG MAN(Y.M.C.A.)

1979年2月21日に発売された西城秀樹さんの、28枚目のシングル『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』

もうこの曲は、どの世代でも知っている名曲と呼んで良いと思います。

明るいパワーソングでありながら、途中に出てくる『Y.M.C.A』の振り付けが、実に印象的。

多くのファンが真似したことでもお馴染みですよね。

少し前になりますが、最近で言うところのAKB48『恋するフォーチュンクッキー』のようなイメージと言えばわかりやすいと思います。

約40年も年月が経とうとしているのに、後世に歌い継がれていくことを考えると、どれだけの影響力を持った楽曲なのか、ただ驚かされるばかり…。

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』は、西城秀樹が大変身させたカヴァーソング

実は、この『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』は、もともと、ビレッジ・ピープルがリリースした楽曲をカヴァーしたものだったそうです。

しかし、彼らの楽曲がディスコナンバーだったこともあって、イメージがあまり良くなかったところ、西城秀樹さんのカヴァーで大変身。

一気にスポーティーな応援ソングとして世界中に定着。

観客(聴き手)が参加するパフォーマンス曲として一気に流行となりました。

まさに、『恋するフォーチュンクッキー』がブレイクしたのと同じような現象が起こったというわけ。

パワフルで爽やかな西城秀樹さんの歌声が、後押ししたことも一つの要因にあると思います。

いずれにしても世界に誇る名曲が生まれた…そう見て間違いない名曲ですね。

ギャランドゥ

1983年2月1日に発売された、西城秀樹さんの44枚目のシングル『ギャランドゥ』。

もともと、この"ギャランドゥ"というワードは、作詞・作曲を手がけた、

もんたよしのりさんの造語

で意味はありません。

ただ、もんたよしのりさんの作風に、西城秀樹さんのパワフルな歌い方が、この曲を一気にワイルドな楽曲へと押し上げていったのです。

キャランドゥはワイルドの象徴とも言える名曲

いまでは、

体毛が濃い人

をギャランドゥと呼ぶようになったわけですが、そのきっかけもこの曲がきっかけとなっているみたい…

実に西城秀樹さんらしい名曲と言えそうですね。

 

以上、西城秀樹さんの名曲です。

西城秀樹の歌唱力の凄さ

では、全体的な西城秀樹さんの歌唱力の評価も見ていきましょう。

基本的に、西城秀樹さんの歌い方は熱唱型で、力強さが魅力的な歌い方です。

なので、喜怒哀楽がストレートに感情的に聴き手に伝わり、感情移入しながらその世界観を味わうことができるのです。

そこが西城秀樹さんの歌唱の魅力的な部分なのですが、あれだけパワフルに歌い上げるのは、彼の歌唱力あってこそ…。

西城秀樹の歌唱力の高さを称賛する声も…

そのように称賛する芸能関係者も多いですし、当時から歌唱力が高いと評価されていたみたいですよ。

実際に筆者も彼の歌う姿を見て、歌唱力の高いアーティストと言う印象を受けていました。

それだけ西城秀樹さんの歌が、世界に向けて魅力を与えていたことなのでしょうね。

 

西城秀樹の妻・子供たち

最後に、西城秀樹さんの妻や子供たちのことにも触れておきたいと思います。

先程、2001年に結婚したお話しはしましたが、なんとその女性は

17歳年下

の一般人女性。

世代も違いますし、芸能関係者でもない年下の一般人女性と、どうやって出会ったのでしょうか。

いろいろ調べてみて分かった話ですが、なんと二人は、西城秀樹さんのお姉さんの紹介で出会ったみたいです。

何でも、お姉さんと西城秀樹さんの妻は当時、近所に住んでいて非常に社交的で仲良く交流していたみたい…。

それで、この人ならと、西城秀樹さんに紹介し、二人は次第に交際するようになったんだとか…。

本当に、人生どこで運命の出会いが待っているかわからないものですね。

西城秀樹の子供は?

そして、2001年に結婚し、その翌年2002年6月3日に、長女・莉子さんが誕生。

その後、脳梗塞を発症してしまうのですが、懸命なリハビリを受けながら、2003年9月に長男・慎之介君が誕生し、翌年に次男・悠天君が誕生。

三人共、元気で明るいイメージのお子さんらしく、父・西城秀樹さんのパワフルなところを受け継いだのかもしれませんね。

まだ妻や子供たちは、西城秀樹さんの逝去を受け入れられないみたいで、彼が眠る自宅の居間に入っては、西城秀樹さんに触れながら語り合っているみたい…。

それだけ父の事が大好きで愛していたんだと思いますよ。

きっと、今後も妻やお子さんの心の中で、西城秀樹さんは生き続けていくことでしょう。

今後、彼女たちが幸せになっていくことを心から願っています。

スポンサーリンク

アドセンス

 

まとめ

急性心不全によって、63年の人生に幕を閉じた、歌手・西城秀樹さん。

彼の経歴を振り返ってみると、いかに多くのファンから愛されていたかよく分かります。

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』をはじめ、数々の名曲を残した西城秀樹さん。

当然、パワフルな歌唱力は高く称賛され、あらゆる世代の人たちから支持され続けています。

愛する妻と三人の子供を残し、この世を去ることは、彼自身、耐え難い現実だったと思います。

ただ、妻や子供たちは、きっと父の魂を胸に宿し、生きていくことと思います。

重ね重ね、西城秀樹さんのご冥福をお祈りしています。

アドセンス

アドセンス

あわせて読みたい

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

masayan

音楽・スポーツ観戦が大好きで、アーティストではJUJUさん・欅坂46など、スポーツではヴィッセル神戸(サッカー)にハマっています。 性格も猪突猛進タイプで、芸能・スポーツを中心に、幅広く思いがストレートに伝わるような、面白くためになる記事となるよう、心がけて執筆しております。どうぞよろしくお願いいたします。

-歌手

Copyright© My News23 , 2018 All Rights Reserved.