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マケドニアとギリシャの関係が悪い理由とは?歴史問題をチェック

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マケドニアという国を知っていますか?

あまり知られていない小さな国ですが、実はここ、かの有名なアレキサンダー大王が生まれた地なんだそうです。

このマケドニアを巡って、2018年1月にギリシャで大規模なデモが勃発しました。

ギリシャとマケドニアは、その国名について長い間対立していたのです。

その長年の反発が今回のデモに繋がったようです。

その一方で、国としては国連を仲介として関係向上を目指し、様々な試みを行っています。

この対立の背景には、どんな問題があるのでしょうか。

今回はギリシャとマケドニアの歴史と問題について説明します。

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マケドニアってどんな国?

「マケドニアってどんな国?」

と聞かれても、場所や首都など、ピンとこない人がほとんどかと思います。

まずはマケドニアが、どんな国なのかみていきましょう。

マケドニアの場所

マケドニア地図

マケドニア地図

マケドニアはバルカン半島の西部に位置し、ギリシャの北側にある国です。

周囲をアルバニア、ブルガリア、セルビア、コソボに囲まれた内陸国です。

そのため海はなく、国土のほとんどが山地で盆地や渓谷が多くあります。

観光資源に恵まれている土地柄といえますね。

マケドニアの首都

マケドニアの首都はマケドニア内最大の都市『スコピエ』です。

スコピエ

スコピエ

マケドニア国民の3分の1の人口は、このスコピエで暮らしています。

スコピエに行ったことがある人の印象としては

テーマパークのような町並み

だそうです。

街中のいたるところに銅像が建ち並び、一般のビルなどの建物の外装もネオクラシカルに改築されているようです。

大きなアレキサンダー大王の銅像も建っています。

さらに街の中にパリの凱旋門を縮小したような門があったり、街中を走るバスがロンドンバスみたいな、赤い2段バスばかりなど不思議な光景が広がります。

旧ユーゴスラビア時代は社会主義的な無機質な建物が多くありましたが、次々と建て変わっている状況のようです。

マケドニア政府の方針で2010年から『スコピエ2014』と名付けられたプロジェクトが進められてきていました。

これは

観光で人を呼び込もう

とする政府が始めたプロジェクトです。

街の人からは工事費用やその管理に対しての批判も多くあり、銅像や建築物にペンキを投げつけるデモが起こったりもしているようです。

ただマケドニアは比較的治安が良く、外国から来た人をもてなす精神が根強いようですよ。

 

マケドニアの歴史

古代マケドニア

世界史に詳しい人であれば『古代マケドニア』の名を聞いたことがあるのではないでしょうか。

古代マケドニアは、ギリシャ人が建国した国で、そのほとんどは現在のギリシャに属します。

その後、民族の移動や支配者の変化にともない、マケドニアと呼ばれる地域も、そこに住む民族も変わっていきました。

現在のマケドニア人は、

南スラヴ系のスラヴ人種

が多数をしめています。

一時期は様々な人種が混在する地域となったようですが、結局は南スラヴ語系のマケドニア語を話す人種が、マケドニア人としてまとまりを持つようになりました。

地域的には古代マケドニアと現代のマケドニアとでは一部は重なっていますが、ズレている地域が大幅にあることになります。

また古代マケドニアの建国者はギリシャ人です。

なので、民族的には直接的な関係はないことになります。

冒頭でアレキサンダー大王の誕生の地と書きましたが、それは古代マケドニアの話。

実際は、現在のギリシャで誕生していたことになりますね。

ユーゴスラビア連邦誕生とマケドニア独立

様々な紆余曲折を経て、第2次世界大戦後にセルビアが中心となって『ユーゴスラビア連邦』が成立し、その中にマケドニアも属することになります。

それまでバラバラであった国が、一度一つにまとまりました。

しかし強いカリスマ性で、連邦を仕切っていたチトー大統領が逝去したことにより、それまで溜まっていた民族間の不満が爆発します。

諸国の経済的格差なども理由にあり、分離の気運が高まっていったようです。

周辺諸国が次々に連邦に反旗を翻し独立していく中、マケドニアも

1991年に独立を宣言

をしました。

これが現代のマケドニアです。

 

マケドニアとギリシャの関係

関係

現代のマケドニアができる経緯を説明してきました。

ここまでに、今のマケドニアとギリシャとの問題の根幹があります。

まずはマケドニアの呼称についてです。

マケドニア呼称問題

実は、このマケドニアという国名は通称で、ヨーロッパ諸国や日本ではそう呼ばれていません。

では、公式になんと呼ばれている国かというと

『マケドニア旧ユーゴスラビア共和国』

と呼ばれています。

長いですね!

この名称は1993年にマケドニアが国連に加盟したときの暫定的な呼び方です。

マケドニアは当時から

「マケドニアと名乗りたい!」

と言ってきました。

しかしギリシャとしては

「本家マケドニアはギリシャでしょ!」

「マケドニアはギリシャの一地域を指す名称!」

「本当のマケドニア人はギリシャ人のこと!あなたたちはスラヴ人でしょ!」

と反発が強く、マケドニアと名乗ることを認めてきませんでした。

そこで世界の仲裁役を担う国連が間に入り、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国という呼び方でとりあえずは落ち着きました。

結局、そのままこの名称問題は解決をみないまま現在に至ります。

マケドニアはEUへの加盟も強く望んでいますが、名称が解決しないためギリシャより反発を受け、加入できないままです。

マケドニア国旗問題

実は、マケドニアの独立時にマケドニアが採用しようとしていた国旗が、大問題に発展したという背景もあります。

マケドニアが採用しようとしていた国旗がコチラです。

旧マケドニア国旗

旧マケドニア国旗

この国旗のモチーフは、アレキサンダー大王が用いた『ヴェルギナの星』をモチーフにしたものでした。

ギリシャはこれに

「俺たちの国と歴史を盗もうとしている!!」

と猛反発します。

ギリシャは国名と国旗の変更を要求し、経済制裁まで下しました。

独立したばかりで経済的に困窮していたマケドニアは、これに大変困ります。

そこでマケドニアは、慌てて太陽をモチーフにした国旗に変えたのです。

現マケドニア国旗

現マケドニア国旗

アレキサンダー大王を巡っては、マケドニア首都スコピエにある空港を『アレキサンダー大王空港』としたことに対しても、長く反発がありました。

この空港名は、2018年2月に隣国ギリシャへの配慮により、『スコピエ空港』と名称を改めることになったのです。

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まとめ

今回はマケドニアとギリシャの関係について、その歴史と問題点について紹介しました。

しかしなぜ今になって、長年解決されずに残っていた問題が顕在化し、デモにまで発展したのでしょう。

それには、

マケドニアの情勢が変化したこと

が関わっています。

長年続いていた保守派のニコラ・グルエフスキ首相が率いる国家統一民主党政権が終結。

2017年6月に左派のゾラン・ザエフ氏が首相に就任しました。

新首相の方針により近隣国家、とくにギリシャとの関係改善を図り、2018年中にNATO、EU加盟を果たすことを目標としたのです。

空港の名前を変更するのも、ギリシャとの関係向上のための試みでした。

国連の仲介を受けつつ進めてきている交渉ですが、最大の問題はマケドニア名称問題です。

この名称問題に対して、協議が再開したことで国民の反発意識が高まり、今回のデモに繋がったようです。

今後はさらに交渉が本格していくようです。

一体どのような決着をみるのでしょうか。

今後もマケドニアとギリシャの動向をチェックしていきたいですね。

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