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高畑勲監督の経歴と人気映画作品を紹介!宮崎駿との関係は?

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『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』など、数々の大ヒットアニメ作品を生み出したスタジオジブリ。

このアニメスタジオの二大巨匠と言えば、高畑勲監督と宮崎駿監督ですよね。

その一人である高畑勲監督が、2018年4月5日に肺がんで亡くなられたと、訃報が入りました。

また惜しい人を亡くし、筆者の心の中は土砂降り状態です…。

おそらくアニメファンの多くは、高畑勲監督の訃報にショックを隠しきれないでしょう。

ただ、いつまでも彼がこの世を去ったことを悲しんでばかりもいられません。

そこで本記事では、高畑勲監督を偲ぶという意味でも、彼の経歴や代表となる映画作品・TVアニメ作品、宮崎駿監督との関係性を振り返ります。

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アニメ界の巨匠・高畑勲の経歴

アニメ映画界の巨匠の一人としても名高い、高畑勲監督…。

これまで、数多くの作品を手がけてくれたアニメ界のスターであり、彼の功績は、そのまま今のアニメに直結していると言っても過言ではないでしょう。

冒頭でもお話したとおり、残念ながら2018年4月5日にこの世を去られたことは、実に悲しく寂しいことです。

では改めて、高畑勲監督を偲びながら、彼の経歴を簡単に紹介していきたいと思います。

映画監督・高畑勲の経歴

高畑勲監督は、1935年(昭和10年)生まれ、三重県宇治山田市(現・伊勢市)出身の82歳。

東京大学文学部仏文科で、フランス文化を学びながら、その文化に感銘を受けた高畑勲監督は、翻訳の仕事もしていたそうです。

東京大学卒業後、東映映画(現在の東映アニメーション)に入社。

1969年『太陽の王子 ホルスの大冒険』で初めて監督を務め、アニメ映画監督としての人生がはじまります。

この頃に出会った宮崎駿監督と、Aプロダクション(現在のシンエイ動画)に移籍…。

その後もスタジオを移籍しながら、1985年に、宮崎駿監督らと共に、スタジオジブリを立ち上げます。

後の代表作となる、

  • 火垂るの墓
  • おもひでぽろぽろ
  • かぐや姫の物語

などの名作を手がけ、一方では、2005年に『おかやま国体の開・閉会式クリエイティブアドバイザー』を務めるなど多方面でも活躍…。

独特な、静的描写の中で視聴者に考えさせるメッセージを散りばめた奥深い作品を描くアニメ監督として絶大な支持を受けた高畑勲監督…。

しかし、2018年4月5日、肺がんで亡くなり、82年の生涯に幕を下ろすことに…

以上が、高畑勲監督の主な経歴です。

高畑勲監督の逝去はアニメファンの深い悲しみ

とにかく、心に響く奥深い作品を数多く手がけた、数少ないアニメ監督が高畑勲監督です。

アニメファンの一人としては、実に惜しい人を亡くしたという想いが強く、本当に言葉にならないです。

大杉漣さんの時も感じたことですが、世間に対して影響を与える素晴らしい作品を残す名優や巨匠がいなくなると、本当に寂しいですよね。

ただ、一つ言えることは、たとえ彼らがこの世を旅立ったとしても、彼らが残した作品は、永遠に残ります。

今回、高畑勲監督の訃報を聞いて、改めて彼が遺してくれた珠玉の名作を観ながら、どこか懐かしみつつ、彼のメッセージを心に刻みたい…。

そう思う次第です。

 

高畑勲が手がけた数々の名作品

どうしても、スタジオジブリというと、宮崎駿監督を連想する人が多いと思いますが、やはり高畑勲監督を忘れてはいけません。

彼の作品は、決して派手ではなく静的志向そのもので、だからこそ、実に味わい深く永遠に語りつがれるような作品ばかりです。

では、その数々の名作品を、少しだけ紹介していきましょう。

火垂るの墓

 

1988年に、同名作品である野坂昭如氏の小説を原作とした、高畑勲監督の手がけた珠玉のジブリ映画の一つ。

舞台は、戦時中~戦後の兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に、ある兄妹が必死に生き抜こうとした姿が描かれた作品です。

冒頭で描かれた兄・清太が三ノ宮駅構内で衰弱して倒れていたシーンが、その後の展開へとつながる伏線として描かれている…。

このシーンに、どこか切なく考えさせられる何かを感じたアニメファンは多かったと思います。

映画の背景は視聴者の感じ方により変わる

オタキングの相性として知られる岡田斗司夫氏は、この作品を芸術作品と言いながらも、

『清太は、妹・節子にギリギリの状態しか食べさせず飢えさせた罪の十字架を背負っている』

という批評をされています。

戦争が、二人の命を奪う状況下を創り上げた見方もあれば、戦時中ながらも、自分を可愛がり生きるためのギリギリの判断をしたという見方も…。

そして、その清太の生き様を、今の私達の暮らしになぞらえて、岡田さんは批評されていました。

「そういう考え方・見方もあるのだ…」

と考えさせられた映画でもありました。

まさに、戦争とはどういうものなのか、考えるきっかけになった珠玉の名作です。

おもひでぽろぽろ

 

1991年7月20日に公開されたアニメ映画『おもひでぽろぽろ』は、今井美樹さんが声を担当した主人公・岡島タエ子の子供の頃からの物語…。

冒頭で描かれた27歳のOLとして東京で過ごすタエ子は、田舎に強いあこがれを持つ女性でした。

その想いは子供の頃から変わらず。

ある時、休暇を使って、山形に嫁いだ姉・ナナ子の夫の親類の家にお世話になり、田舎ライフを満喫していきます。

その中で、タエ子は子供の頃の自分を思い出しながら、ゆったりとした時間を過ごし、ナナ子の夫のミツオのまたいとこである、トシオと恋に落ちていく…。

どこにでもある日常だからこそ面白いアニメ作品

そんなどこにでもあるような日常の一コマを切りとったアットホームなアニメ・ドラマとして描かれた作品が、『おもひでぽろぽろ』でした。

この作品も、高畑勲監督らしく、実に静的描写が描かれた作品でしたよね。

都会で働き忙しくしていく中で、ふと、

「何のために生きているんだろうか?」

と考えさせられることもあると思います。

一方、都会に憧れつつも、田舎の生活に心を癒やされ、次第に田舎の良さに魅了されていく人も、今の時代たくさんいます。

そんな都会と田舎の、それぞれの魅力というか必要性を考えさせられる作品だと思います。

かぐや姫の物語

 

2013年11月23日に日本で公開された、高畑勲監督の珠玉のアニメ作品『かぐや姫の物語』。

この作品は、国語の授業でも題材としてよく用いられる『竹取物語』が原作となったアニメ作品。

翁(おじいさん)が、竹やぶに竹を取りに行った中、ある光る竹を見つけ、かぐや姫(赤ん坊)と遭遇したところから物語が始まります。

このかぐや姫(赤ん坊)を、まさに天からの授かりものと捉え、おじいさん・おばあさんはかぐや姫を自身の娘と可愛がり、大切に育てていく…。

その中で月からの迎えが訪れ、かぐや姫は元の場所に帰っていくというストーリー…。

ここまでは、実写映像化もされた竹取物語そのもののストーリーですよね。

高畑イズムの象徴として描かれた『姫の犯した罪と罰』の意味

ここに高畑イズムとして、

『姫の犯した罪と罰』

をキャッチコピーとしたストーリーが展開されていくわけです。

アニメ映画『かぐや姫の物語』では、

竹の中にかぐや姫が入っていたわけではなく、竹林の竹の前に赤子がいた

という描かれ方をしています。

さも、誰かに見つけてもらいたくて、分かりやすく登場させたというニュアンスが伝わります。

そして、キャッチコピーについては、

  • 姫が月から逃げて自由を手にしたかったという罪
  • 月に帰り自由を奪われる罰

の2つの姿を、伏線として描かれていた…。

そんな説もありますが、残念ながら明らかにはされていません。

ただ、そこは視聴者に考えてくださいと投げかけているわけで、そこが、高畑イズムそのものですよね。

静に描きながら、視聴者にその奥深さを体感させ、作品の意義・意味(メッセージ)を考えさせ、たくさんの解釈を生み出していく…。

これこそが、高畑勲作品の醍醐味なのだと、改めて考えさせられる作品だと思います。

高畑勲が残した数々のアニメ作品

その他にも、アニメ作品としては、

  • じゃりン子チエ(劇場版、1981年公開)
  • 平成狸合戦ぽんぽこ(1994年公開)
  • ホーホケキョ となりの山田くん(1999年公開)

などの監督を務め、演出を担当した作品には、

  • アルプスの少女ハイジ
  • 母をたずねて三千里

などがあります。

数々の名作アニメ映画に携わっていることは、過去の作品を見ても明らかで、その実績からも、高畑勲監督が巨匠と言われているのだと思いますよ。

 

高畑勲と宮崎駿の関係が面白い

みなさんは高畑勲監督と宮崎駿監督のコンビに対して、どのような印象を持っていますか?

おそらく宮崎駿監督は多少せっかちでキビキビ動いていくタイプ。

それに対し、高畑勲監督はマイペースで楽観主義という印象を持っていると思います。

そのことを物語るエピソードもいくつかありますので、ここで二人の関係を物語るエピソードとして紹介していきますね。

作風がまるで違うために別々の道を歩いた

宮崎駿監督は、東映動画時代に

高畑勲監督の右腕

として活躍していた頃がありました。

それは、当時頭角を表し始めた、高畑勲監督の作風に魅了されていた宮崎駿監督が、高畑勲監督のために身を粉にして働いた結果でした。

当初から、静的な描写が多くインテリジェンスの高い豊かな世界観は、宮崎駿監督には描くことのできない高畑勲監督ならではのオリジナリティだったのです。

だからこそ、二人はそれぞれの作風に惹かれ合い、協力し合うようになっていったんだそうです。

ところが、二人がコンビを組みスタジオジブリとしてアニメーションスタジオで手腕を発揮していく中、それぞれの価値観の違いが高まっていきます。

高畑勲・宮崎駿のアニメに対する価値観の違い

宮崎駿監督は動的考えの持ち主で、より動きのある面白いアニメーションが最大の武器とも言えるアニメ監督。

さらに言えば、

後進を育てるくらいなら自分が動く

という考えの持ち主で、だからこそどんな作品にも自ら作画を担当し、陣頭指揮を取ってきた…。

一方、高畑勲監督は、自ら作画を担当することはほとんありません。

大まかなプロット・構成を創り上げ、適材適所に指示を与え続け、作品を作り続けてきた監督です。

当然、作風にもその静的スタイルが反映し、リアルに描きながらも、動きではなく目に見えない何かで、心に訴えるタイプの作品が多いです。

『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』など、人々の心の中でいつまでも描かれるような、悲しさだったり、心の暖かみを描くのに長けた監督…。

そんな印象がとにかく強い監督です。

 

そのことは、宮崎駿監督が強く感じていたようで、

「青春をすべて捧げた」

と言いながらも、高畑勲監督の志すアニメ映画に不満を漏らし、動的な部分を多く取り入れた『冒険娯楽活劇』を、自分で監督し始めたのです。

一方で高畑勲監督も、

「宮崎駿監督の世界観と同じものは創ることはできない」

と、ますます自身の静的な作風を追求し始めた…。

そんな二人にしか分かりえないエピソードとして語られています。

ある意味、共感し和える部分がありつつも、価値観は真逆な二人だったからこそ、いい意味でライバルとして、しのぎを削り合っていたのでしょうね。

締切にルーズな高畑勲監督に我慢ならなかった宮崎駿監督

これも、二人の性格を如実に物語っている実に面白いエピソードです。

この話は、株式会社スタジオジブリ代表取締役で、ジブリ作品の名プロデューサーである鈴木敏夫さんの話を元にしています。

彼は、高畑・宮崎両監督の右腕としても有名な人で、二人のことは誰よりも知られている人物です。

その鈴木プロデューサーの話によると、苦楽をともにしながら共にアニメを作り合っていた二人が、ある事件で決別してしまったんだそうです。

厳密には、仲違いしているわけでも何でもなく、ただ別々の道を歩み始めたきっかけに過ぎないのですが、そこがまた面白い!

『太陽の王子ホルスの大冒険』が二人の転機に

というのも、『太陽の王子ホルスの大冒険』というアニメ作品において、高畑勲監督は製作期間1年を3年まで延長。

 

それで制作会社と大喧嘩したというのです。

「できないなら制作中止!」

とまで言われてしまい、事態は困窮してしまうのです。

それでも、高畑勲監督は素知らぬ顔して平然と自身の納得する作品を創り上げようとしていたんだそうです。

一方、共に作品を創り上げていた宮崎駿監督は、作品そのものが制作中止になるかも知れないと危機感を感じ、涙していたんだそうです。

その一件があって、

「この人は一体何なんだ?」

と、それでも堂々としている高畑勲監督に恐怖感をつのらせ、

「自分は締切を遅れていいという考えは理解できない…」

と、別の道を歩むこととなったそうです。

静的志向・動的志向の違いが生み出す面白さ

今となってみれば、一つの笑い話とも言えるエピソードですよね。

でも、制作していたアニメ作品が頓挫するかもしれないとなると、当時の宮崎駿監督からしてみれば、気が気じゃなかったと思いますよ。

 

以上が、二人の関係性を物語るエピソードです。

のんびりと構える静的志向の高畑勲監督、一方、動的志向を持つ宮崎駿監督…。

二人が相まみえることは、それから二度とありません。

しかし、だからこそ、それぞれの特色を活かした作品が、スタジオジブリの人気を高めていくのだと思います。

宮崎映画のアクセントを与え続けてきた高畑映画

 

『崖の上のポニョ』、『もののけ姫』など、メッセージ性はありつつも、子供が観て楽しめる動きある作品を得意としる宮崎駿監督の作風…。

それはそれで、実に面白いですが、そればかりではどうしても飽きがきてしまいます。

どんなに超人気アニメ監督が手がける作品であっても、人の目はどんどん肥えていき、どこかで単調と感じ満足できなくなってしまう…。

それがリアルな姿です。

ところが、宮崎駿監督の作風と真逆の、静的志向の高畑勲監督の作品が加わることで、よりジブリ作品が深みをましていく…。

これこそが、スタジオジブリが、世代を超えて、多くのファンから長年愛されている大きな秘訣なのだと筆者は感じています。

旧知を知る二人だから、あえて言葉を交わすことはないでしょう。

ただ、二人だからこそ分かり得る関係性が、作品や二人のエピソードから感じられますし、それらを感じるほど面白い…。

そのことが改めてわかったような気がした次第です。

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まとめ

アニメ映画会の巨匠の一人である高畑勲監督。

彼が私達に遺してくれた数々の作品を振り返ってみると、実に奥深い歴史やメッセージが詰まっていました。

マイペースでのんびりしながらも、深くこだわり納得の行く作品を創り上げてきた彼の作風は、まさに高畑勲監督の人生そのもの…。

そのことは、経歴を共に積み重ねながらも、ときに盟友・宮崎駿監督と別々の道を歩ませるきっかけにもなっています。

でも、そんな真逆の価値観を持つ二人だからこそ、スタジオジブリの作品は支持され続けた…。

ふと、そんなことを考えさせられますね。

改めて、高畑勲監督のご冥福をお祈り申し上げます。

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masayan

音楽・スポーツ観戦が大好きで、アーティストではJUJUさん・欅坂46など、スポーツではヴィッセル神戸(サッカー)にハマっています。 性格も猪突猛進タイプで、芸能・スポーツを中心に、幅広く思いがストレートに伝わるような、面白くためになる記事となるよう、心がけて執筆しております。どうぞよろしくお願いいたします。

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