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長嶋一茂と妻の出会いから結婚まで調査!野球の成績は本当に悪い?

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長嶋一茂さんは、言わずと知れた元プロ野球選手で監督の長嶋茂雄さんの息子。

偉大すぎる父親を持った長嶋一茂さんは、お父さんと同じ野球の世界に入りましたが、結局お父さんを超えることは出来ず引退。

引退後のタレントや俳優として活躍し始めた長嶋一茂さんを支えたのは、やはり妻の存在でした。

今回は、そんな長嶋一茂さんと妻の出会いから結婚までを紹介していきます。

そして、お父さんの背中を追った長嶋一茂さんの選手時代の成績が本当に悪かったのかも調査してみましょう。

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長嶋一茂と妻の出会いから結婚まで

長嶋一茂

長嶋一茂

長嶋一茂さんは、1996年にプロ野球の現役を引退し、以後、タレント、俳優として活動を始めました。

引退後すぐに、NHKの朝ドラ『オードリー』に出演したことでは、多くの人が驚いたことでしょう。

「あのナガシマジュニアが俳優!?」

そんな長嶋一茂さんをサポートしてきたのが、当時マネージャーだった妻・仁子さんでした。

長嶋一茂さんと仁子さんは、同世代ということでも親近感が湧いたようです。

同年代の人とは、青春時代に夢中だったこと、例えば好きな歌手だとか、見ていたドラマだとか、時代と共感でき、話題が多くあるので親しみやすかったのかもしれませんね。

また、マネージャーとして、長嶋一茂さんの活動を陰ながらバックアップしていた仁子さんとは、同志のように感じていたのでしょう。

長嶋一茂さんにとって、芸能界は無知な世界ですし、仁子さんに至っては鹿児島から一人出てきて、心細かったと思います。

そんな二人は、タレント、マネジャーという関係を超えて、愛を育んでいきました。

当時、長嶋一茂さんは親しい友人に、仁子さんのことを、

「一緒にいると安らげるし、よく気が付く、最高のパートナー」

と語っています。

この言葉は、まさに結婚を意識した台詞ですよね。

仁子さんの出身地である鹿児島の友人も、

よく気が付くし、人当たりもよく、感じの良い人。

一茂さんは明るいし、うまくやっていけると思う。

とコメント。

長嶋一茂さんは高級住宅地の田園調布に、

長嶋邸から徒歩10分の距離

に、新居を建設。

そう。

仁子さんは玉の輿だったのです!

実は、長嶋一茂さんは現役時代には、タレントの八木美香さんと交際していました。

彼女との交際は5年間と長かったのですが、長すぎた春だったのか、自然消滅してしまったそうです。

慣れないタレント活動を始めた長嶋一茂さんを、公私ともに支えたことが、妻として仁子さんを選んだ決め手となったようですね。

 

長嶋一茂の妻は結婚後どうしてるの?

長嶋一茂さんの妻である仁子さんは、滅多に表に出ないですよね。

そこで、結婚後の仁子さんのことを調査してみました。

 

長嶋一茂さんと妻である仁子さんは、1999年9月に入籍。

同年12月3日に、箱根の新宮の九頭龍神社で結婚式を挙げました。

和装のお着物でも、ウェディングドレスでも、仁子さんはお似合いだったことでしょう。

2004年には、仁子さん37歳のときに

双子の女の子

を出産しました。

年齢からすれば高齢出産になるのでしょうが、母子ともに健康で、仕事で立ち会えなかった長嶋一茂さんも、一安心したそうです。

子育てをしながらも、

妻・仁子さんは長嶋一茂さんの個人事務所の代表

を務めています。

子育てって一人でも大変なのに、双子を育てるのはさぞかし大変な苦労をされているはずです。

ママ業に加えて妻業、そして事務所の代表業を三足の草鞋を履いた、忙しい日々だったのではないでしょうか。

 

長嶋一茂の妻は問題児?

元銀座のホステスって本当?

長嶋一茂さんの妻・仁子さんは、銀座の老舗高級クラブ『ドルフィン』に勤めていたことは確かです。

長嶋一茂さんが現役選手、仁子さんがホステスとして、一番最初に出会った場所がこの高級クラブなんです。

仁子さんは『ドルフィン』でナンバーワンホステスという地位。

その美貌で目立つ存在でしたし、何でも気が付く女性だったようですよ。

江角マキコとのママ友カーストは何故起こった?

長嶋一茂さんの妻として、それこそ『奥』で長嶋一茂さんを支えてきた妻・仁子さんの存在が注目されてしまったのは、2014年。

そう。あの

『落書き事件』

でした。

こんな原始的で幼稚ないじめもないものと思いますが、その真相は実に幼稚なものでした。

仁子さん派閥と、江角マキコさん派閥がお互い悪口、誹謗中傷合戦。

江角マキコ

江角マキコ

結果、江角マキコさんが村八分にされて、ママ友仲間から追放されたのです。

仁子さんは青山学院にも影響力を持っていて、江角マキコさんの次女が青山学院の幼稚園に入学するのを妨害して、入学できなかったそうです。

 

ただ、やられっぱなしで終わらせないのが江角マキコさん。

その腹いせに、江角マキコさんは自分の元マネージャーに命じて、長嶋一茂さん宅の壁やガレージに

『バ〇息子』

と落書きさせたのです。

後で、江角マキコさんが元マネージャーさんに、

お礼のお金を渡した

と言われていますから、確かなのではないでしょうか。

このとき、長嶋一茂さん一家はハワイ旅行で留守にしていました。

なにやらハワイにいる長嶋一茂さんがそのことを耳にして、妻に気付かれる前に落書きを消させるように、業者に頼んだようです。

ただその後には、しっかり被害届を出しています。

 

長嶋一茂の現役当時の野球の成績は?

長嶋一茂の大学時代

冒頭でも触れましたが、

『ミスタージャイアンツ』

とも呼ばれる長嶋茂雄さんの息子として、長嶋一茂さんはお父さんと同じ道を選びました。

恵まれた体格と、父親譲りの野球センス

で、長嶋一茂さんは立教高校時代から活躍。

夏の高校野球では予選の準決勝で負けてしまい、憧れの甲子園へは出場ができませんでした。

その後、立教大学に進学します。

立教大学の硬式野球部に入部し、お父さんと同じ3塁手として活躍していました。

成績としては、

382打数86安打

打率2割2分5厘 11本塁打 54打点

という成績。

ただ、野球に詳しくなければ、この成績が良いのか悪いのか分かりませんよね。

言ってしまえば、少なくとも自慢できる成績ではありません。

かと言って、すごく悪いというわけでもありません。

可もなく不可もなくという、二世選手にしては普通という結果だったのです。

ですが、大学4年の時には、

2季連続でベストナイン3塁手

に選ばれました。

長嶋一茂のヤクルト時代

やはり長嶋一茂さんの場合、親がやっている会社の跡を継ぐというのとは違います。

常にマスコミに囲まれ、好奇の目を向けられ続けていた長嶋一茂さん。

それでも長嶋一茂さんは、比べられるのを承知でお父さんと同じ世界に入りました。

 

では、プロ野球のドラフトで、

『ヤクルトと大洋(当時)から1位指名』

されたのは、成績が良かったからなのでしょうか?

これは正直、

『長嶋茂雄さんの息子』

というネームバリューを球団が欲しかったからだと言われています。

話題になるスター選手がいると、集客数も増えますし、マスメディアに取り上げてもらう機会も増えます。

 

こうして長嶋一茂さんはヤクルトに入団。

期待を一新に背負って、プロとしての第一歩を踏み出したのです。

1988年、一軍メンバーに選ばれ、オープン戦で3割以上の打率。

プロ初安打は何とホームランでした。

こうして長嶋一茂さんは、

『ミスター二世』

として注目されたのです。

 

1990年に入り、ヤクルトの監督が野村克也監督に代わってから、長嶋一茂さんは出場機会が減りました。

野村監督はマスコミから、

「どうして一茂を使わないのか?」

と聞かれた際、

「逆に尋ねるが、あんたが監督だったら一茂をレギュラーで使うのか?」

と逆に言い返されたという逸話があります。

また、野村監督は長嶋一茂さんのことを、

「ウチのお荷物」

とまで発言。

一説では、長嶋茂雄さんとの確執があったのでは?

と噂もされましたね。

長嶋一茂のジャイアンツ時代

そして1993年、長嶋茂雄さんが読売ジャイアンツの監督に就任した時に、長嶋一茂さんも読売ジャイアンツへ金銭トレードで移籍しました。

周りは

「親バカ」

だという空気でしたが、当時は誰も長嶋茂雄さんの決めたことに逆らえなかったと言います。

同じ年、対ヤクルト戦では、原辰徳さんとの守備交代で、

「4番サード長嶋」

がコールされ、それだけでもファンにはたまらない夢の瞬間が実現しました。

1994年は46試合に出場。

1995年は右肘の故障で一軍出場ゼロ。

長嶋一茂のプロ野球時代の通算成績

通算7年384試合

打率2割1分

18本塁打

82打点

1995年オフシーズンで、お父さんであり監督である長嶋茂雄さんから、

『戦力外通告』

を受けました。

上記のような成績では致し方ないでしょう。

こうして長嶋一茂さんの、長いようで短かった野球人生は幕を下ろしたのです。

周りからの過度な期待に、並々ならぬプレッシャーがあったことでしょう。

オヤジを超える姿を誰もが期待しつつ、無理だという風も流れていました。

二世と言っても、あまりにもスーパースターだったお父さんを、ある意味穢さずに終わった野球人生だったのではないでしょうか。

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まとめ

長嶋一茂さんと妻・仁子さんの出会いは、

仁子さんの勤める高級クラブ

でした。

そこから長嶋一茂さんのマネージャーとなり、結婚までに至ったのは、やはり運命だったのですね。

高級クラブという出会いの場所に難癖をつける人もいるかもしれませんが、出会いは、いつどこで起こるか分かりません。

一方、野球選手としての成績は、お世辞にも良かったとは言えなかったようですが、チームのムードメーカーとして、確実にその名を残したのではないでしょうか。

早い段階でタレントに転身したのは、結果良かったと思いますよ。

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