モハメド・アリ

ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ氏が亡くなりました。

2016年6月3日のことで、享年74歳でした。

モハメド・アリ氏は、生涯に60戦以上ものボクシングの試合を戦っていますが、勝ち負けにかかわらず、いずれも長く記憶に留まるような、見事な試合ぶりでした。

モハメド・アリ氏のボクシングスタイルは、以下の一言に尽きます。

『蝶のように舞い、蜂のように刺す』

モハメド・アリ氏のボクシングスタイルは、ヘビー級とは思えないような軽く速いフットワークで、ひらりひらりと舞い、左右のストレートを蜂のように刺すという、華麗なものでした。

それまでのヘビー級のボクシングは、重いフットワークで、どたばたと接近し、力任せにフックやスイングをふりまわすという泥臭いものでしたから、筆者がはじめてモハメド・アリ氏のボクシングを見た時には、

『ヘビー級にこんなボクサーがいたのか!』

と驚嘆したことを覚えております。

今回は、そのモハメド・アリ氏の強さとボクシングの戦績に注目し、またその病気と子供のことなど、さらには数々の名言なども見ていきましょう!

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モハメド・アリの強さと戦績に注目!

モハメド・アリ

まずはモハメド・アリ氏とは、どんな人なのか、そのプロフィールから見てみましょう。

モハメド・アリのプロフィール

本名 カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay, Jr.)
出身地 アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル
生年月日 1942年1月17日 2016年6月3日没(満74歳)
没地 アリゾナ州フェニックス

身長 191センチ(現役当時)
リーチ 203cm (現役当時)
体重 107キロ(現役当時
血液型 A型

モハメド・アリの通称

ザ・グレーティスト
ザ・ピープルズ・チャンピオン
ザ・ルイビル・リップ

モハメド・アリの戦績

61戦 56勝 37KO勝ち 5敗
階級 ヘビー級

なお、戸籍上の本名は、『カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア』で、元々、『モハメド・アリ』は、リングネームだったのですが、後年、戸籍上の本名も『モハメド・アリ』に変更しました。

日本では姓名の『名』の方は、ある程度の理由があれば、変えることもできますが、『姓』の方は、通常では変更はまず不可能でしょう。

アメリカでは、この『姓』も本人の意志により、簡単に変更できるということなのでしょうか???

このあたりは、日本人にとってみれば、不思議なところですね。

さて、この『モハメド・アリ』の由来ですが、イスラム教の預言者の『ムハンマド(英語名はモハメッド)』と、指導者(イマーム)『アリ』によるからのものです。

プロ転向後には、モハメド・アリ氏が、イスラム教の信者であることを公表し、それまでのリングネーム、『カシアス・クレイ』を、『モハメド・アリ』に改めました。

モハメド・アリ氏の強さの秘密ですが、これはやはりあの『蝶のように舞い、蜂のように刺す』のスタイルにつきるでしょう。

この有名なフレーズは、モハメド・アリ氏自身が考えたものと思っていましたが、実はそうではなく、トレーナーのドゥルー・バンディーニ・ブラウン氏が、考案したものだそうです。

冒頭にも書きましたように、モハメド・アリ氏の出現以前のヘビー級ボクシングは、フットワークはあまり使わず、力任せのフックやスイングをふりまわすというものだったのです。

中には例外もありますが、現在でもこのスタイルの選手は多く、そのため中軽量級のスピード溢れる攻防や、華麗な技術を見慣れていると、なんとも野暮ったく面白くありません。

ロイ・ジョーンズ・ジュニア(ただし、階級はヘビー級ではなくライトヘビー級)のように、軽量級顔負けのスピードと技術を持つ選手もいることはいましたが、やはり少数派でしょうね。

そのため、対戦相手の選手は、モハメド・アリ氏のスピードと技術について行けず、一方的に翻弄されて、気がついたら試合が終っていた、という内容の試合が多くなったわけです。

このスピードと技術が、モハメド・アリ氏の強さの秘密でしょう。

モハメド・アリ氏の現役引退後には、マイク・タイソン選手のように、抜群のパンチのスピードを持つ選手も出現しましたが、タイソン選手は、パンチのスピードはあっても、フットワークは特に速くはありません。

トータルでのスピードでは、現在でもモハメド・アリ氏は、最速ボクサーの一人でしょう。

以下は、モハメド・アリ氏の現役時代のボクシング戦績の抜粋です。

モハメド・アリの戦績抜粋

1960年 ローマオリンピック金メダル
1960年10月29日 プロデビュー
1962年12月15日 アーチー・ムーアに4回TKO勝ち
1964年2月25日 ソニー・リストンに7回TKO勝ち WBA・WBC統一世界ヘビー級王座を獲得

1965年5月25日 初防衛戦 初回の2分12秒KO勝ち
1966年3月29日 カナダのジョージ・シュバロに判定勝ち
1966年8月6日 ブライアン・ロンドンに3回KO勝ち
この試合でのパンチは、高速カメラでも捕らえきれないほどのスピードにもかかわらず、全てのパンチががクリーンヒットしていたいう驚異的な高速パンチでした。

1967年、1969年 ベトナム戦争への徴兵を拒否したため、無敗のまま王座剥奪
1971年3月8日 復帰戦 ジョー・フレージャーに挑戦 敗戦
1973年3月31日 ケン・ノートンに判定負け 2度目の敗北で、顎を骨折していた
1973年9月10日 ケン・ノートンに判定勝ちで雪辱
1974年1月28日 前王者ジョー・フレージャーと再戦 12回判定勝ちで雪辱
1974年10月30日 ジョージ・フォアマンにKO勝ち 王座復帰 キンシャサの奇跡

1975年10月1日 ジョー・フレージャー 14回TKO勝ち
1978年9月15日 レオン・スピンクス 判定勝ち WBA世界ヘビー級王座を奪回
1980年10月2日 かつてのスパーリング・パートナーのラリー・ホームズと対戦 11回TKO負け
1981年12月11日 トレバー・バービック 判定負け 遂に引退となる

『1974年10月30日 ジョージ・フォアマンにKO勝ち 王座復帰』

この試合が『キンシャサの奇跡』といわれる歴史的な一戦で、既にモハメド・アリ選手は、ボクサーとしての盛りを過ぎていました。

しかも相手は、当時パンチ力は史上最強といわれたフォアマン選手なので、大方の予想は、フォアマン絶対有利というものでした。

しかし、モハメド・アリ選手は、わざとロープを背負い、フォアマン選手の強打をことごとくブロック、一撃必殺の『蜂の一刺し』を浴びせて勝ったのです。

 

モハメド・アリの病気はパーキンソン病!

モハメド・アリ

モハメド・アリ氏の病気ですが、亡くなった直接の原因は、『肺炎及び敗血症によるショック症状』とされています。

しかし、モハメド・アリ氏は、長年パーキンソン病を患っており、これが遠因となっていることは、確実と思われます。

パーキンソン病の主な初期症状には、

ふるえ

固縮

無動

姿勢障害

などがあり、動作や姿勢が、自分で制御できなくなるのです。

パーキンソン病は進行すると、自分だけでは日常生活も送れなくなり、さらに悪化すると『寝たきり』状態になります。

このパーキンソン病という病気は、進行速度には、個人差が非常に大きいと言われています。

パーキンソン病は、1817年に英国のジェームズ・パーキンソンが、初めて報告したことにより、その後『パーキンソン病』と言われるようになりました。

病因ですが、中脳の黒質の異常により起こるとされています。

その後、脳の線条体でのドーパミンの低下が、パーキンソン病で見られることがわかり、L-ドパ (レボドパ)が、ある程度の効果があることも、わかってきました。

モハメド・アリ氏の場合は、長く激しいボクサー生活で受けた脳へのダメージが、このパーキンソン病の発症の原因と思われます。

 

葬儀は、モハメド・アリ氏の故郷であるケンタッキー州ルイビルで行われましたが、マイク・タイソン氏や、俳優のウィル・スミス氏らが棺を運びました

モハメド・アリ氏の葬儀には、オバマ大統領は家族の事情により、大統領本人は出席しませんでしたが、代理の大統領顧問が弔辞を読みました

その弔辞は、

「ムハマド・アリはアメリカそのものである。不遜で、挑戦的で、パイオニアで、不屈だった。彼はアメリカの最も基本的な自由である、宗教、言論、精神そのものだった」

と、モハメド・アリ氏の生涯を讃えました。

又、トルコのエルドアン大統領や、ボクシング世界5階級制覇の名選手シュガー・レイ・レナード氏らも、この葬儀に参列したそうです。

さらに沿道には、10万人以上のモハメド・アリ氏のファンや地元民たちが、アリ氏の名を叫ぶ中、ケイブヒル墓地へと向かったのです。

その日の午後には、モハメド・アリ氏の追悼式が行われ、1万5千人以上の人々が出席しました。

その中には、アーノルド・シュワルツェネッガー氏、デービッド・ベッカム氏、NFL選手のジム・ブラウン氏、ウーピー・ゴールドバーグ氏、スパイク・リー監督、NBAのカリーム・アブドゥルジャバー氏ら、多数の著名人が参列していましたね。

 

モハメド・アリの子供と家族は?

モハメド・アリ

モハメド・アリ氏は4回結婚していて、子供は9人いますが、その内一人は、養子だそうです。

モハメド・アリ氏の現在の妻は、ロニーさんという方です。

このモハメド・アリ氏の妻は、モハメド・アリ氏の入院後は、もう命がないことを覚悟していたそうです。

そのくらいモハメド・アリ氏の容体は悪化していたということですね。

モハメド・アリ氏の子供の中で一番有名なのは、プロボクサーのレイラ・アリさんです。

この子供は、3人目の奥さんであるベロニカ・ケネディさんとの間に生まれましたが、お父さんと同じくプロボクサーとして活躍、WBC女子スーパーミドル級の初代チャンピオンになっています。

レイラさんは、1977年12月30日の生まれで、プロボクシングのデビューは1999年10月、21歳の時でした。

このデビュー戦では、1ラウンドKO勝ちという見事なものでした。

そして、ジョー・フレージャーの娘であるジャッキー・フレージャー・ライドと、2001年6月に対戦したのです。

親子二代にわたる対戦、しかも女子というわけで、これはボクシング界ではめったにないことだと思います。

その後、世界王者(世界女王者ですか)となり、2007年には、結婚のため無敗のまま引退するという見事なボクシング人生を送ったようです。

 

モハメド・アリの名言集

モハメド・アリ

モハメド・アリ氏の名言集ですが、なにせビッグマウスにかけては史上最高最強の人で、日常の会話全てが、名言迷言ビッグマウスと言っても過言でないくらいの人です。

この人に比べれば、日本の本田圭佑選手でさえ、スモールマウスの見本に見える、と言うくらい、モハメド・アリ氏は、ビッグマウスなのです。

ですので、名言迷言の類はあまりにも多すぎて、とてもとてもここで全てはご紹介できません。

今回の以下は、そのごく一部の抜粋したものをお届けします。

・「おれは蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴にはおれの姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろ」
・「おれは偉大だ。そして美しい」
・「おれは神話を作り、そして神話の中で生きる」

・「不可能とは、事実ではなく単なる先入観だ」
・「不可能とは、誰かに決められることではない」
・「不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない」
・「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ」
・「不可能とは、可能性だ」
・「不可能とは、通過点だ」
・「不可能など、何でもない」

・「想像力のないやつに翼は持てない」
・「マルコムXに賛同しなかったのは、人生で最も大きな後悔の1つだ」
・「他の人に貢献することは、この地球でのあなたの居場所のために払う、家賃である」

・「あいつは不細工だな。世界チャンプはおれぐらいハンサムじゃないと」
・「指導者にはなりたくなかった。ただ自由になりたかっただけだ」
・「俺を自由の身のままにするか、でなければ刑務所に入れろ。どちらにせよ、俺は自分の主張を貫き通す」
・「白人が絶対に捕まえることのできない黒人になってやる、と固く心に決めていた」

まとめ

今回はモハメド・アリ氏の強さと、ボクシングの戦績の秘密や、晩年の病気と子供のこと、それに数々の名言などを見てきました。

こうして見てきますと、モハメド・アリ氏という人は、とにかく話題になる人ですね。

もっともこれはモハメド・アリ氏自身が、マーケティング的意味で、そのように振る舞って行動していた、と言っていますので、全てが素顔というわけでもなさそうです。

このあたりは、あの亀田一家の言動も、モハメド・アリ氏のやり方をまねしていたのかもしれませんね。

決定的に違うところは、モハメド・アリ氏はマウスだけではなく、実力も超一級だったという点ですが・・・