ゴン中山とカズ

サッカー元日本代表の、ゴン中山選手と三浦知良選手は、日本のサッカーの草分けと呼べる人たちです。

共に長いサッカー人生を送り、栄光の日々もありましたし、失意の時もありました。

時には日本代表として、晴れの舞台で大活躍をし、時には怪我に泣いたこともありました。

ゴン中山選手も三浦知良選手も、数々の栄光と業績に彩られた、日本サッカー界のレジェンド(伝説)なのです。

その二人は、古くからの友人同士でもありますが、ゴン中山選手と三浦知良選手の関係と仲はどんなものなのか、さらにお二人の伝説などのエピソードを見ていくことにしましょう。

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ゴン中山と三浦知良の伝説的なプロフィール!

ゴン中山

まずゴンこと中山雅史選手のプロフィールからです。

中山雅史 (なかやままさし)

愛称 ゴン 中山隊長
生年月日 1967年9月23日
身長 178センチ
体重 72キロ
右利き
ポジション FW(フォワード)
学歴 筑波大学卒業

Jリーグ開始以前には、ヤマハ発動機に所属し、その後、Jリーグ開始以後はジュビロ磐田で15年に渡って活躍しました。

その後は、コンサドーレ札幌に移籍しましたが、2012年にはJ1最年長出場記録を更新したのです。

その時の年齢が、なんと「45歳2ヵ月」です。

普通なら10年以上前に現役を引退し、コーチとかやっていておかしくない年齢ですね。

それなのに、45歳まで現役として試合に出ていたというのは、まさに驚異以外のなにものでもありません。

そして、その年のシーズン終了後に、ゴン中山選手は引退を発表したのです。

ゴン中山選手、長年お疲れ様でした!

しかし、もっと凄いのは、その後2015年にはアスルクラロ沼津で、現役に復帰したことです。

あだ名の「ゴン」の由来ですが、これは、ゴン中山選手が筑波大学サッカー部時代につけられたものです。

当時のテレビ番組「オレたちひょうきん族」で、ビートたけしさんが演じた、「鬼瓦権造(おにがわら「ゴン」ぞう)というキャラが、中山選手によく似ていた、ということから、愛称「ゴン」なのです。

随分昔からのニックネームなのですね。

もう1つの理由は、学生時代の寮にはやたら大きなタンスがあり(事実だそうです)、「タンスにゴン」から「ゴン」となったというものです。

しかし、こちらはあまりあてにはならず、やはり鬼瓦説の方が有力です。

さらなる愛称に「中山隊長」がありますが、これはビートルズの曲である「イエローサブマリン」のメロディで、「中山隊長ゴンゴール」というチャント(選手の応援歌)が歌われたことからのようです。

三浦知良

続いては、三浦知良選手のプロフィールです。

三浦知良(みうらかずよし)

愛称 カズ キング・カズ
生年月日 1967年2月26日
出身 静岡県静岡市葵区
身長 177センチ
体重 72キロ
所属 横浜FC
ポジション FW他
世界最年長プロサッカーリーグ選手(2016年現在で49歳)

三浦知良選手といいますと、まず思い浮かべるのは、高校時代に単身ブラジルに渡り、CAジュベントスに入団してプロサッカー選手への道を歩んだ、というお話です。

僅か16歳で、しかもたった1人で、遠い地球の裏側の異国に渡り、そこでサッカー選手となるということは、どれだけの精神力と忍耐力が必要なのか、気の遠くなるような思いがあります。

ブラジルでは格上チーム相手に得点を挙げるなど活躍し、1990年には日本に戻って読売サッカークラブ(後にヴェルディ川崎、現東京ヴェルディ)に移籍しました。

この頃のヴェルディ川崎には、ラモス瑠偉選手、北澤豪選手、武田修宏選手、ビスマルク選手、柱谷哲二選手、ペレイラ選手、菊池新吉選手など、そうそうたるメンバーが顔を揃えていましたが、三浦知良選手もその一人として、ヴェルディ川崎をJリーグ最初の優勝チームに導いたのです

その後1994年にはイタリア・セリエAのジェノアCFCに移籍したのですが、この時は戦力としてよりも、商業的価値のためという見方が多く、三浦知良選手自身もデビュー戦で負傷し、あまり活躍はできませんでした。

この三浦知良選手の移籍は、アジア人初のセリエAプレーヤーとして、記録に残っています。

日本に帰ってからは、日本代表としてワールドカップ予選で得点27をあげましたが、なぜかワールドカップ本大会には選ばれず、この件は未だに、あちこちで論議の対象となっています。

また、2012年にはフットサル日本代表として、フットサルワールドカップにも出場しました。

1人の選手が、サッカーとフットサル両方の日本代表になったのは、三浦知良選手が初めてで、おそらくこれが最初で最後の例になるでしょう。

 

ゴン中山と三浦知良の関係と仲はどうなの?

ゴン中山と三浦知良

ゴン中山選手と三浦知良選手の関係と仲ですが、2人ともお互いをリスペクトしあい、怪我や引退などの際には、暖かいエールを送り合っています。

ゴン中山選手が引退を表明した時には

「寂しいというか…あいつがいたから、僕自身、ここまで来られた」

と、三浦知良選手は言っていました。

お二人の奥さんも、メールで連絡を取ったりして、家族ぐるみで仲良く付き合っているようですね。

ゴン中山選手の奥さんの生田智子さんは、娘の有名私立小学校入学に際しては、その小学校には三浦夫妻の子供も通っていたため、三浦夫人の三浦りさ子さんにも挨拶をしたとのことです。

ゴン中山選手は、1998年のワールドカップ本大会に、三浦知良選手が選ばれなかったことについては、非常に悲しく困惑したことを話しています。

「あのときカズさんが選ばれていれば、試合の結果は変わっていたかもしれません」

とのことです。

そして、極めつけのエピソードです。

日本代表チームが海外遠征に出かけて、とあるホテルに泊まりました。

三浦知良選手はゴン中山選手の部屋にやってきて、DVDを一緒に見ることになりました。

二人は一緒にベッドに横になってDVDを見ていたのですが、三浦知良選手は既に見たことのあるタイトルだったので、うとうとと寝入ってしまいました。

しかし、さすがに天下の名選手、三浦知良選手の勘は只者ではありません。

肝心のシーンになると、パッと目をさまし

「ここ、いいとこだから見逃さないように!」

とゴン中山選手に告げて、またすやすやと寝てしまいます

そんなことを繰り返している内に、トルシエ監督が部屋に入ってきました

そして(あっ!これは見てはいかんものを見てしまった!)と思ったのかどうかはわかりませんが、

「OK、OK!」

といいながらそのまま部屋を出て行ったそうです。

 

ゴン中山と三浦知良の伝説的エピソードなど

長い選手経歴を持つだけに、ゴン中山選手も三浦知良選手も、伝説エピソードや逸話にはことかきません。

三浦知良選手の伝説エピソードでもっとも有名なのは、11番という数字に強い愛着を持っているということでしょう。

三浦知良選手の伝説エピソード

・入団したチームでは必ず11番を要求
・練習の時のビブスも11番を使う
・車のナンバーも11!
・駐車場で11番のスペースが空いていたら、いくら狭かろうと必ずそこに駐車する

もう1つは、TPOなどおかまいなく、いかなる時にもスーツを着る、ということでしょう。

・洋服保存専用のマンションを購入した
・コーヒーを飲むためだけに外出する時でもスーツを着る
・近くのコンビニに行く時でもスーツを着る

ゴン中山選手の伝説エピソード

・1998年のワールドカップの試合中に足を骨折したが、そのまま出場し続けてゴールを挙げた

・ある番組に出演した時、放送開始と同時にフルパワーで話し始めた

インタビュアーが「ゴンさんはいつもその調子なのですか」と聞くと、っちろん!ひとりでいる時もいつもこうですよ!」と答えたとか

 

まとめ

ゴン中山選手も三浦知良選手も、日本のサッカー界では飛び抜けたレジェンドとなっています。

それだけに、お二人にまつわる伝説は、沢山ありすぎて、全てをご紹介することはとてもできませんが、今回はその中から珍しいと思われる伝説を、いくつかご紹介しました。

このゴン中山選手と三浦知良選手の関係と仲にしても、お互いが相手をリスペクトしあい、相手をいたわる姿は、見聞きしていてとても感動しますね。

スポーツの選手としても友人としても、これがあるべき姿だと感じました。

その爽やかなお2人が、いつまでも元気にサッカーに関わることを祈っています。