君が代 d82cb975

最近、朝日新聞デジタルに、

『「君が代」とは別の「第二の国歌」があれば理想だ 野球観戦に耳栓は持って行きたくない』

という、エッセイが発表され、いかにも朝日新聞らしい酔いよい記事だと話題になっています。

話題になるというより、炎上していると書いた方が正確でしょう。

これを書いたのは三島憲一氏という哲学者だそうです。

哲学というのは、何を言っているのかまるでわからないことを、さらにわからなくするガクモンですから、この人の言っていることが、まるでわからなくても、心配はいりません。

それが正常な人間の感覚だからです。

そこで今回は、君が代を歌う理由と歌わない理由、そして君が代の歌詞の意味などを書いてみました。

スポンサーリンク

 

君が代を野球などのスポーツで歌う理由と歌わない理由

君が代 124569

このエッセイでの三島氏の言い分を要約すると、おおよそ以下のようになります。

「プロ野球を見に行くと、試合前に起立して君が代斉唱がある。わしは勿論立たんぜよ。野球と「君が代」となんの関係があるのか。

日本の市民の成熟度を示すのは、10人にひとり位の割合で、起立しない人がいることである。

成熟度を最もよく示すのは、そういう観客に「なんで立たない!」とか「国賊か!」「中国の手先か!」などとなじる人を見かけたことがないことだ。

もちろんこの流れにはある種の力が働いていよう。そして、「国賊か!」という叫びが  ・・・」

この後には「続きを読む(残り:約3391文字/本文:約4156文字) 」というメッセージが続いていますが、無論筆者はそんなものを読んだりしません。

読むためにはお金が必要なので、こんなことにお金の無駄遣いはしたくないからです。

まあ、このエッセイの内容をみても、三島氏がどのような立場にある人なのかは、一目瞭然ですから、書くこともおおよそ見当がつきます。

さすが朝日新聞御用達というところで、あえて読む必要もないでしょう。

しかし、どうもよく分からない点があります。

国歌を歌わないことが、なんで国民の成熟度に繋がるのでしょうか。

この疑問について考える前に、君が代を歌う理由について考えてみましょう。

なぜ君が代を歌うのでしょうか?

皆が歌うので、一人だけ歌わないのは恥ずかしい。

付和雷同、とにかくみんなと同じことをしておけば、問題ないだろ。

君が代の歌詞に賛成だから。(右派ですね)

それでは、君が代を歌わない理由は?

立つのが面倒だ。

野球観戦には野球をみるために来たので、君が代を歌うためじゃない。

君が代は天皇制賛辞の歌だから、歌わない。

というところでしょうか。

それと、「野球観戦に耳栓は持って行きたくない」というのも、おかしな言い分ですね。

三島氏は価値観の多様化ということで、立つも良し立たぬも良しと書いています。

ならば、君が代を歌わないのはよしとしても、耳栓は必要ないんじゃないですか?

人が勝手に歌うのはよいが、それを聞きたくないから、耳栓を持って球場には行きたくない、というのは、矛盾しています。

聞きたくなければ、球場に行かなければよいだけのことです。

「国歌を歌わないことが、なんで国民の成熟度に繋がるのでしょうか。」

という先程の疑問についてですが、この人のいう「国民の成熟度」というのは、いわゆる「進歩的な国民」の成熟度ということなのでしょうね。

一応、君が代を歌う立場の人にも理解を示しているように書きながら、その後段では「この流れにはある種の力が働いていよう」と、暗に否定しているのですから。

このように矛盾を抱えた三島氏の発言ですが、きっとこのような立場の人にありがちなことなのでしょう。

第二の国歌が欲しければ、「六甲おろし」か「大根おろし」でも歌えばいいんじゃないですか。

野球場にはふさわしい歌ですからね。

 

君が代の歌詞の意味は?

君が代 defb5140
君が代の歌詞はこのようなものです。

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

巌(いわお)となりて

苔のむすまで

現代語に直訳しますと、歌詞の意味はこのようなものです。

君(主君)の代は

1千代も8千代も続いて

さざれ石(ごくちいさな石)が

巨岩になって

苔がつくまで

これをさらに、もう少し砕いて読むと、歌詞の意味はこうなります。

天皇陛下の御代は

いつまでもいつまでも続いて

果てしないように

とまあ、こんなものでしょうか。

これがなぜいけないのか、その理由は

「軍国主義的だから」

「天皇家賛美だから」

というのが言い分なのでしょう。

しかし、世界各国の国歌は、大半が似たようなものですよ。

イギリス国歌(法制化はされていないが事実上の国歌)にしても、「神よ女王を救い給え」、つまり「女王陛下万歳!」です。

フランスの国歌は、元々は革命時の軍歌ですから、やたら勇ましく赤色に満ち溢れています。

「武器を取れ! 隊列を組め!! 進め!進め! 不浄なる敵の血で我が畑を彩れ!」

ようするに、王様の血で畑を染めろというようなものでしょう。

そもそもどこの国にせよ、国歌が制定された時期と現在とでは、社会に対する考え方がまるて変わってきています。

なので1000年も前に作られた歌詞が、現代の考え方にそぐわないのは当然です。

それを歌詞が現代の考え方にそぐわないから、国歌を変えろと言い出されますと、万葉集や古事記を読むと、「それ反動だ!」、「やれ右翼だ!」と指さし呼称されそうで怖いですね。

常にその時代にふさわしい国歌でなければならない、となると「2016年の国歌」とか、「2017年の国歌」とか、年代わりで国歌を変えるということになりかねません。

そうなれば紅白歌合戦みたいに、「今年の国歌候補はなにになる?」とか、話題になりそうですね。

それに、この君が代の歌詞の意味は、解釈の仕方が他にもあります。

「君」というのは、通常は「主君=天皇」の意ですが、この「君」には「天皇の意ではない」という意見もあります。

「君」は「主君」の意ではなく、男女を問わない一般的な成人の「あなた」の意だというものです。

この場合の「君=あなた」は親密な異性、つまり彼氏彼女を指すのが通常です。

この説によりますと、君が代の歌詞の意味は、

あなたとは、時代を超越して、何千年も何千年も、石のように固く固く、結ばれていこう

となります。

つまり愛の歌ですね。

君が代の歌詞は、元々1000年も前の歌(和歌)ですから、この歌の真の作者さえ、確実にはわかっていません。

905年の古今和歌集に初出となっていますが、作詞者は読人しらず、つまり不明です。

そして題も「題しらず」、つまり名無しです。

一説には、九州の志賀海神社祭儀の中にある、というものもあります。

この祭儀の最終シーンで、宮司(祢宜)と村人たちのやり取りの中に出て来るのですが、

『命、旦夕の老人君主の病状回復を祈る歌』

としてのものだそうです。

祢宜
「君が代は千代に八千代にさざれいしのいわおとなりてこけのむすまで」

というものです。

これだけ多数の解釈がある歌詞を、なにがなんでも「反動」「右翼」でひとくくりにして決めつけるのも、なにかの特定の政治的意図があるように、感じられます。

 

まとめ

 今回の騒ぎの発端になった元記事は、朝日新聞デジタル版2016年04月04日号です。

そしてそれに対して反論や意見で、各ブログやBBSなどで大騒ぎとなり、いわゆる炎上状態となりました。

この三島氏の説への反論は、ネトウヨ系のものは感情的な反論が多く、三島説もその反論も「なんだかなぁ・・・」という感を持ってしまいます。

それはともかくとして、今回は三島説の話題と君が代の歌詞の意味などについて、筆者なりに考えてみたのが、今回の記事です。