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中年の星は、元中日ドラゴンズの山本昌さん、高齢ゲーマーの星なら、元TBSアナウンサーの鈴木史朗さんです。

御年まさに78歳、普通なら盆栽や俳句などたしなんで、午後9時就寝、午前6時起床というあたりが常なのですが、この鈴木史朗さんは午前3時就寝、10時半起床と、青少年並の夜型人間なのです。

そして日夜ゲーム三昧、とくにバイオハザードが大好きで、70代のゲーマーとはとうてい考えられないような、奇跡的ハイスコアをたたき出しています。

といわけで、今回は高齢ゲーマーの星である鈴木史朗さんの現在の姿や、バイオハザード愛とそのスコアなどを、ご紹介して行きたいと思います。

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高齢ゲーマー鈴木史朗とはどんな人?

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鈴木史朗さんとはこんな方です。

鈴木史朗

1938年2月10日 生まれ
京都府京都市北区 出身
血液型 AB型
早稲田大学法学部卒

1962年 アナウンサーとしてTBS入社
1998年 定年退職
現在 フリーアナウンサー
所属事務所 キャスト・プラス

鈴木史朗さんは、TBS時代はお堅いイメージの仕事が多かったのですが、フリーの現在では、バラエティ番組などをメインとして活躍しております。

鈴木史朗さんの実家は京都上賀茂神社の社家であり、神社を守護する武士家の出身だそうです。

趣味の欄には「スーパーファミコン」と書いたそうですが、今なら「プレイステーション」でしょうね。

 

鈴木史朗の現在は?

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鈴木史朗さんは、人気バラエティ番組のアナウンサーでもありますが、それよりも、現在は、高齢ゲーマーとしての方が有名でしょう。

ゲームの中でも、特に「バイオハザードシリーズ」への没入ぶりは凄まじく、全作所有など当然のこと、78歳とは到底信じられないほどのハイスコアを、鈴木史朗さんが次々にたたき出しています。

鈴木史朗さんのゲーム歴については、1978年にスペースインベーダーでテレビゲームを始めたとのことで、日本のゲーマーの開祖的存在にもあたるのかも。

1980年代は娘さんに買ってあげたファミコンに、鈴木史朗さん自身がどっぷりはまりこみ、『スーパーマリオブラザーズシリーズ』『グラディウスシリーズ』『魔界村シリーズ』などを次々にクリアするという活躍ぶりです。

そしてついに運命の(鈴木史朗さんにとっては)ゲーム『バイオハザード』との出会いです。

忘年会で貰ったプレイステーションですが、娘さんから『バイオハザード』をプレゼントされたのが、その後の長い『バイオハザード』生活の始まりなのです。

ゲームをするのは、皆が寝静まった深夜の0時から2時頃とのことです。

『バイオハザード』シリーズ20周年感謝パーティーにゲストとして招待された鈴木史朗さんは、

「先月78歳になりました。元気なのはゲームのおかげです」

と挨拶したそうですよ。

その元気の秘密は、

「バイオでヒートアップ、どうぶつの森でヒートダウン、これを繰り返せば元気になれます」

とのことです。

『バイオハザード』は、1996年に第1作が発売されたホラーアクションゲームで、日本のみならず海外でも圧倒的な人気を誇ります。

ホラーTPS(第三者視点シューティングゲーム)の名作『dead space』の作者は、『バイオハザード4』の大ファンで、『バイオハザード4』を超えたゲームを作ろうと考え、見事にそれを実現しました。

鈴木史朗さんは、ゲームをやりすぎたために反射神経が異常に鋭くなり、教習所で免許の更新をした際には、教官から

「反応が速すぎてむしろ危険だ」

という評価を受けたほどです。

鈴木史朗さんには、さらに面白いエピソードがあります。

鈴木史朗さんは学生時代に盲腸炎となり、手術することになりました。

ところが手術医は元軍医であり、手術の前に

「鈴木、君は日本男児か?」

と聞かれたそうです。

鈴木史朗さんが

「はい!日本男児であります!」

と答えると

「なら大丈夫だな」

と、なんと、鈴木史朗さんは麻酔なしで手術を受けることになってしまったとのことです。

麻酔なしで手術をする理由は、麻酔なしの方が傷の治りが早い、ということらしいですね。

しかし、いくら隠れスーパーマンの鈴木史朗さんでも、手術はやはり痛かったらしく、

「口に手を突っ込んで、顔を裏返しにするくらい」

の痛みがした、と言っていたそうです。

軟弱な筆者なら、

「治りが遅くてもいいから、麻酔かけてよぉ~」

と泣きわめくでしょうね。

鈴木史朗さん達の子供の頃は、

「特攻隊に行って玉と散る」

というのが、共通の夢だったそうですから、盲腸の手術位麻酔なしでも平気平気。

ほんとうに平気だったかどうかまではわかりませんが…

また、鈴木史朗さんはこれまでにCD3枚を発売した歌手でもあります。

その中で、61歳の時に発売した「想春譜」(永六輔作詞・平尾昌晃作曲)は6万枚も売れたとのことです。

この歌手デビューについては、番組内で歌唱指導があり、それまで特に歌の訓練は旗ことがなかった鈴木史朗さんは、近くのカラオケ学校の入って泥縄式に歌を習ったとか。

その歌が平尾昌晃さんの目に留まって、曲を作ってもらい、歌手デビューとなったとのことです。

十数年前からはもクリエーター育成学校の東放学園で、マスコミ志望者を月1回、指導したり、講演活動もおこなっています。

 

鈴木史朗のバイオハザードのスコアは?

バイオハザード

鈴木史朗さんのご贔屓ゲームは、『バイオハザード4』ですが、この中にあるマーセナリーズ(傭兵の意)というミニゲームでは、20万点を超えています。

それも一度きりではなく、これまでに6回も20万点越えをしているそうです。

「最高で20万5370点を記録しました。ギネスに申請すれば、70代では世界最高記録でしょう。申請するのが面倒くさいし、照れくさいし、バカバカしいからやってませんが」

と、凄いことを平気でコメントしていました。

『バイオハザード4』のマーセナリーズの一般的スコアは、普通にやって6~10万点あたり、慣れた人なら15~20万点なので、20万点越えは、相当に上手い人でないと無理、というところでしょう。

それを6回も記録するというのは、鈴木史朗さんの腕前は、並の腕ではありませんね。

マーセナリーズのウェスカーの古城では、9万点以上を出したそうですが、

「私は6万点から9万点取れますけれども、みなさんですと2千点か3千点取れれば立派だと思います」

涼しい顔で発言したことも。

普段は温厚酒脱な鈴木史朗さんですが、ゲームをする時には、その性格は豹変して、

「ガタガタ言う前にブッ●しときます」

「後ろ向いてるバカがいるんで撃っときます」

などと、恐ろしいことを言います。

 

まとめ

知れば知る程、エピソードも面白いし、凄い人というのが、鈴木史朗さんです。

バイオハザードの20万点越えのハイスコアといい、6万枚のCDを売り上げる歌手としての実力といい、麻酔なしでの盲腸手術といい、どれ1つとっても並の人間にできることではありません。

それを至極簡単に、当たり前のようにやってしまうから、なおさら凄いですね。

これまでどんな人生を送ってきたのか気になってしまいます。

きっとこれだけではないいくつものエピソードを隠し持っていそうです。

そんな鈴木史朗さんは、一種の隠れたスーパーマンなのかも知れませんね!