突然ですが、聖徳太子の架空人物説をみなさんはご存知でしょうか?

つまり、歴史上でも有名な、あの聖徳太子という人物が、実在しなかったという説です。

ここでは聖徳太子という人物を、少なくとも、名前は知っているという前提でお話しますので、もし

「聖徳太子って誰?」

という方がいたら、ごめんなさい。

聖徳太子という人物には、不在説以外に、奇怪珍妙な説が多数あります。

そこで当記事では、聖徳太子は実在していたのか?

それとも、架空説が正しいのか?

さらには教科書やお札の画像といった、その他の怪説奇説も含めて、その真相を探っていきたいと思います。

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聖徳太子のトンデモ説を紹介!

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まず、説明不要かとは思いますが、簡単に聖徳太子について、ご紹介していきます。

聖徳太子(しょうとくたいし)は、574年2月7日に生まれ、622年4月8日に亡くなったとされています。

聖徳太子の活躍した時代は飛鳥時代の推古朝で、当時の天皇は女性天皇の推古天皇です。

聖徳太子の父は用明天皇、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女です。

飛鳥時代を代表する政治家であり、聖徳太子は摂政として、天皇と事実上同じ仕事をしていました。

実は、この聖徳太子という名前は、後世につけられたもので、厩戸皇子(うまやどのみこ)、または厩戸王(うまやどのおう)と、当時は呼ばれていたそうです。

厩(うまや)の近くで生まれたので、そのように呼ばれたと言われていますが、現代人の受ける印象は、

「なんだ、馬小屋生まれか」

と、あまりよいものではありません。

まぁ、時代が違うので、そのあたりはなんとも言えないのですが…。

さて、そんな聖徳太子ですが、彼に対しては時々、

「一体何を言っているんだ?」

というようなトンデモ説が多く唱えられています。

中でも、聖徳太子架空説は、とりわけ有名ですが。架空説くらいで驚いてはいけません。

聖徳太子は歴史上において、超がつくほどの有名人ですから、トンデモ説も、実に様々です。

聖徳太子架空人物説
聖徳太子虚構説
聖徳太子の命は狙われた説
聖徳太子蘇我入鹿説
聖徳太子推古天皇説
聖徳太子怨霊説
聖徳太子女性説

ざっと調べても、これだけの説があります。

虚構説はイコール架空人物説と言ってもよいでしょうが、命を狙われたとなると、さすがに穏やかではありません。

もっと凄いのは、怨霊説で、歴史上の偉人・聖徳太子が怨霊だったというのですから、ここまでくると呆れて笑ってしまいますよね。

この他にも、聖徳太子は女性だったという説、聖徳太子は推古天皇だったという説もあります。

推古天王は女性天皇でしたから、これは女性説とほぼ同じものですね。

さらには、聖徳太子は蘇我入鹿だったという説、などなど、誰が何を根拠に言い出したのだろう…

さまざまなトンデモ説が、聖徳太子には多く存在しているのです。

 

聖徳太子は実在していない?架空人物説とは?

驚く男性

聖徳太子が実在していなかった架空人物説がある、と先ほどご紹介しましたが、聖徳太子架空説のなかにも、色々な議論があり、大きく分けると、2つに分けることができます。

第1の説は、聖徳太子といわれる存在そのものが、人名としてではなく口跡・行跡としても、全く実在しなかったというものです。

つまり、聖徳太子という人物は、この世に実在しなかった、まさに架空であったということですね。

第2の説は、聖徳太子といわれる人物の口跡・行跡は存在するが、それは聖徳太子という人名では行われなかった、というものです。

こちらの説は、現在、聖徳太子が行ったとされる業績は、他の人物により行われた、というものです。

第1の架空人物説を称える人の代表者は、大学教授である大山誠一氏です。

大山氏の説によると、聖徳太子として知られる人物は、後の日本書紀などで捏造されたものであり、実在しなかったとのこと。

十七条の憲法も、冠位十二階も、全て日本書紀の編者による捏造であり、聖徳太子は架空の人物である、というのが大山氏の主張です。

その他の聖徳太子が実在しなかった架空人物説の根拠を幾つか上げて見ましょう。

推古天王の時代には摂政という職務はなかった
現在残されている聖徳太子の肖像は、別人のものである
纏っている衣装も笏(しゃく)も、聖徳太子の時代には存在しなかった
隋書との食い違いが多い(随書は中国の歴史書)

ちなみに、隋書の中の、日本に触れた部分が「倭国伝」で、日本で会った王は男性だったとの記述があるそうです。

当時の天皇は女皇である推古天皇ですから、これは明らかに矛盾していますね。

またこの隋書には、聖徳太子も厩戸皇子のことも全く記載がありません。

これらが、大山氏の聖徳太子が実在しなかったとされる架空人物説の根拠だそうです。

ただ、日本書紀の虚偽記載にしても、摂政や肖像画にしても、聖徳太子の架空人物説の根拠としては、今一つ弱いような気もします。

確かに、隋書については、確かに奇妙であるとは誰しも思うでしょうが…。

 

聖徳太子が実在しなかった架空説と教科書やお札の画像が変わった理由

考える女性

さて、次に第2の聖徳太子が実在しなかった説の根拠です。

聖徳太子が行ったとされる業績は、他の人名の人物により行われた、というものについてですね。

要するに、

「聖徳太子という名前の人物は存在しなかったが、その口跡・業績を行った人物は存在した」

ということです。

つまり、別の名前の人物が、後世で聖徳太子と呼ばれるようになった、というわけなのです。

現代に残されている聖徳太子の肖像画像ですが、ここに描かれている人物は聖徳太子ではないという説は、かなり有力です。

その画像がこちら。

聖徳太子

学校の教科書などにもありますから、有名ですよね。

実は、頭の冠、着ている衣服、持っている笏(しゃく)などは、全て聖徳太子の時代である推古朝には存在しなかったそうです。

これらはいずれも大化の改新以降のもので、顔の髭さえも、後に別人が描き加えたと言われています。

また、

「和をもって貴しとなす」

で有名な十七条の憲法も、聖徳太子が作ったものではないと言われています。

では、一体誰が十七条の憲法や冠位十二階を作ったのでしょうか?

その人物こそが、厩戸皇子(厩戸王)というわけなのです。

厩戸皇子は聖徳太子とは違い、実在性はほぼ確実とされています。

十七条の憲法や冠位十二階を作った厩戸皇子は、その業績故に、太子信仰の対象となり、次第に美化されていって、後の聖徳太子となったのではないか?

とも、考えられます。

教科書でも、昔のものは「聖徳太子」という名称は、ごく一般的に使われていましたが、最近の教科書には「聖徳太子」はあまり出て来ません。

その代わりに厩戸皇子や厩戸王という名称は、かなり頻繁に出てきます。

これらの説が有力になってきた現代では、教科書や、かつては、お札に描かれていた聖徳太子画像が変わった理由・原因も明白ですよね。

まさに描かれていた人物が、

「聖徳太子ではないから」

それに尽きるでしょう。

 

まとめ

日本の歴史上の偉人・聖徳太子の架空人物説の内容から、お札や教科書に描かれている聖徳太子の画像が変わった理由について、ご紹介しました。

聖徳太子が実在しなかった、架空人物説については、第1の完全架空人物説と、第2の別名の人物説をご紹介しましたが、筆者の個人的印象では、第2の聖徳太子が行ったとされる業績は、他の人名の人物により行われた、という根拠の信憑性が高いように感じます。

まぁ、いずれにしても、当時の人間に直接会い、話を聞いたりすることは、当然不可能ですので、所詮は後世の人間の推測推量にしか過ぎません。

このあたりが、歴史を語る時の面白さでもありますが、一歩間違えば、捏造を広めていってしまうという、危うさでもある…

筆者としては、そう感じた次第です。