日本人で、『聖徳太子』という人物の名前を知らない人は、そうそういないでしょう。

しかし、『聖徳太子』という人物の正体は、一般には知られていない深い謎に包まれているのです。

「そんな人物は実在しなかった」

という架空人物説から、聖徳太子は実在したが、別名での存在だったという説など、各説が乱れ飛んでいるのです。

聖徳太子の実在・架空については、前回の記事でご紹介しましたので、ここでは聖徳太子の本名や家族、さらには聖徳太子が行ったとされる政治や、予言名言などを、ご紹介したいと思います!

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聖徳太子の本名と家族を紹介!

聖徳太子3

まず、聖徳太子の本名についてご紹介します。

…が、これがまた、大変なのです。

なんと、現在では、聖徳太子という人名の人物は、実在しなかったという説が有力なため、下手に聖徳太子と言うと、誤解が生じてしまいます。

本来ならば、教科書でも使われるようになった厩戸皇子と書くべきなのでしょうが、当記事では、なじみ深い聖徳太子という表記で統一させてもらいます。

それでは早速、聖徳太子の本名についてご紹介しますが、先ほど「大変」と述べた理由が、本名とされる名前の多さです。

聖徳太子は、本名候補がやたらと多いのです。

有力なのは厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)や、厩戸王なのですが、その他にも候補は多数あります。

上宮厩戸
厩戸皇子
厩戸皇太子
摂政太子
厩戸王
上宮王
豊聡耳
上宮之厩戸豊聡耳命
法主王
豊耳聡聖
徳豊聡耳法大王
上宮太子聖徳皇
厩戸豊聰耳聖徳法王

以上が、聖徳太子の本名とされる名前の一覧です。

なぜ1人の人物が、これほど多くの名前を持っていたのかは、今となってはわかりませんが、当時はこのようなことが普通だったのでしょうか?

聖徳太子が活躍していた時代は、飛鳥時代の推古朝で、西暦では574年から622年、6世紀と7世紀にまたがる時代です。

聖徳太子の本名として際に有力である、「厩戸皇子」という名前の由来は、聖徳太子の母親が馬屋の近くで、聖徳太子を出産したことによる、とされていますが、この説に対しても異論や反論もあります。

『馬屋で出産した』などというのは、イエス・キリストの逸話とそっくりですよね。

それゆえに、架空の創作ではないか?と言われているわけです。

続いては、聖徳太子の家族について、ご紹介します。

聖徳太子の父親は用明天皇、母親は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女らしく、聖徳太子は当時、最高クラスの貴賓だった、というわけです。

聖徳太子の奥さんには、正妻として天皇家の血をひく橘大郎女(たちばなのおおいつらめ)、第2夫人として蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこのいつらめ)、第3夫人として兎道貝蛸皇女(うじのかいだこのひめみこ)がいました。

その他には平民出身の膳部妃という、いわば側室のような女性もいたそうですよ。

聖徳太子の回りにいる女性の多さは、この時代の貴賓では当たり前なのか、それとも聖徳太子が特別女性好きだったのか…

そのあたりまではわかりませんが、セレブや富豪とは縁のない筆者としては、羨望の想いを隠せません。

平民出身の膳部妃と聖徳太子は、後に心中ということになるのですが、その心中事件の真偽も不明です。

また、トンデモ説としては、聖徳太子ペルシャ人説とか、母親はペルシャ人だった、という説もありますが、こちらも真偽のほどは、まるでわかりません。

まぁお話としては、面白いのですが…

 

聖徳太子の政治の内容を紹介!

黒板と男性

聖徳太子の政治的な業績としては、なんといっても、17条の憲法でしょう。

「和を以って貴しと為す」

で有名ですが、文字通りの憲法(大元のことわり)として、人の道を説いた名文です。

しかし、実は、この1文の後にも、延々と文章は続きます。

17条全部となると、相当な長文になりますが、これを聖徳太子1人だけで全てを考え出したのか?

何人かで作ったのか?

そのあたりは、謎の1つとして現代でも解明されていません。

その他の聖徳太子の業績といえば、冠位十二階も有名ですね。

こちらは身分制度の一種で、身分に相応する服装など定めたのですが、聖徳太子の真意は、身分にかかわらず能力のある人材を登用したい、という所にあったのではないかと思います。

また、遣隋使については、

「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」

の名文で有名なのですが、最も不思議な点は、隋書(古代中国の歴史書)で日本に触れた部分の『倭国伝』には、推古天皇のことも、聖徳太子(厩戸皇子も含めて)も、全く記載がありません。

そのために、これが聖徳太子架空人物説の根拠とされるのですが、なぜ記載がないのか、その理由は未だ不明です。

しかも、随使(随からの使者)の報告では、天皇は男性とされています。

これもまた、非常に不思議な点ですですよね。

当時の天皇は女皇の推古天皇ですから、この点も、聖徳太子架空人物説と日本書紀でっち上げ説の、重要な根拠に上げられています。

まぁ、摂政として事実上のトップであった聖徳太子を天皇だと思った、ということも、あるかもしれませんが…。

聖徳太子のその他の政治的業績は、以下に一覧としてご紹介しますね。

斑鳩宮の造営
新羅征討の派兵
屯倉を各国に設置
三経義疏を著作(聖徳太子は深く仏教を信仰していました)
蘇我馬子と共に、『国記』、『天皇記』、『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』などを編纂

これほど多くの業績を残しているのですから、聖徳太子は、日本の歴史における偉人、と言って間違いはなさそうですね。

 

聖徳太子の残した予言の内容と名言を紹介!

考える男性

実は、聖徳太子は、超人的な能力(超能力)を持っていたという説まであります。

その説によると、聖徳太子が空中を飛行したとか、生まれてすぐに言葉を話したとされていますが…

果たして、真偽の程はどうなのでしょうか?

聖徳太子の持つ超能力の中には、未来を予知することができた、というものもあるそうです。

これが、俗に言う『未来記』ですが、もちろん偽書で、鎌倉時代に書かれたものだと言われています。

そもそも、『未来記』は、偽書という以前に、現物が残されていません。

もうこの世に無い書だけに、内緒にされたのでしょう。

ダジャレはさておき、『未来記』には、恐ろしい予言が残されている…

と、『未来記』を読んだ(らしい)人は言っているそうです。

『未来記』によると、2016年に原発で大事故があり、日本は滅亡するとか、書かれているそうなのです。

まぁ、そもそも偽書ですし、原発事故についても、

「クハンダが来るため、その東の都は親と七人の子供のように別れる」

という文をかなり強引にこじつけただけに過ぎません。

信憑性もあったものではないでしょう。

また、聖徳太子は偉人だけに、予言という胡散臭いものではなく、名言も残しています。

その一部をご紹介すると…

「和というものはなによりも大事なものです。いたずらに争いを行えば、世は乱れます」

「礼儀を大事にしなさい。上に立つ者が礼儀をおろそかにすれば、下のものも乱れます」

「上に立つ者は、人より早く出仕し、最後になってから退出しなさい」

「人にはそれぞれの役割があるが、それを真摯に行い、権力などを乱用してはいけません」

などです。

どこかで見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

というのも、これは17条の憲法に書かれている条文だからです。

どれももっともなことばかりですが、現世でも、なかなか実行できていないことが悲しいところですね。

 

まとめ

聖徳太子の来歴から、行ったとされる政治の業績、予言の真相、名言などをご紹介しました。

改めて、聖徳太子は不思議な人物なのだなぁ…

と、つくづく感じます。

実在さえ疑われる人物の言動が、1400年も後の現代にこれほど重要視されるということも少ないでしょう。

正直、超能力については眉唾そのものですが、人物像自体は、魅力的としか言いようがありません。

だからこそ、聖徳太子が偉人と言われる所以かもしれませんね。