柿谷曜一朗

スイス一部リーグのFCバーゼルに在籍していたFW柿谷曜一朗選手が、古巣のJ2セレッソ大阪に移籍することになりました。

柿谷曜一朗選手が、バーゼルに移籍してから、わずか1年半ほどしか経っておりませんし、移籍当初は、最初の試合で得点するなど、そこそこの活躍も見せていました。

なのに何故バーゼルが、柿谷曜一朗選手を手放そうと考えたのか。

また、セレッソ大阪は、なぜ柿谷曜一朗選手を呼び戻そうとしたのか。

筆者なりに、柿谷曜一朗選手がセレッソ大阪に復帰したその理由や原因などを考えてみました。

もう一つ、柿谷曜一朗選手の海外での評価も、大いに気になる所です。

そこで当記事で、海外での評価や、柿谷曜一朗選手の今後も含めて、考察していきたいと思います!

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柿谷曜一朗のサッカープロフィールと移籍の経緯

柿谷曜一朗

まず、柿谷曜一朗選手のこれまでのサッカーのプロフィール・経歴を簡単に紹介しましょう。

2006年 セレッソ大阪とプロ契約

2006年 高校在学中にアーセナルやインテルミラノのユースの練習に参加。

2006年 AFC U-17アジア選手権では唯一のプロ選手として大会に出場。

2009年 練習への遅刻の常習犯という名誉ある称号を得る。

2009年 監督からプロ意識の欠如を指摘され、徳島ヴォルティスへ期限付き移籍。

2011年 素行の悪さは大分改善され、キャプテンとなる。

2012年 セレッソ大阪に復帰。

2013年 日本代表に初選出。(東アジアカップ2013)

2014年 FCバーゼルに移籍。

2016年 セレッソ大阪に復帰。

柿谷曜一朗選手は、2013年には東アジアカップの第1戦中国戦で代表戦初出場を果たし、後半14分には代表初出場で初得点を上げました。

さらに、第3戦となる韓国戦では、2得点を上げる大活躍をし、大会得点王にも輝きました。

しかし、その後の親善試合では、一向に得点できず、ついにザッケローニ監督(当時)のスタメンからも柿谷曜一朗選手が漏れてしまうように。

それでもワールドカップ本大会には出場を果たしましたね。

とはいえ、それは途中出場の2試合だけで、しかも柿谷曜一朗選手の出場時間は僅かなものです。

こうした経緯があり、柿谷曜一朗選手は、一昨年セレッソ大阪から、スイス一部のバーゼルに移籍したのですが、開幕試合ではゴールを決めたものの、その後は鳴かず飛ばずの状態が続き、昨シーズンは14試合3得点、今シーズンもここまで4試合1得点という、微妙な結果に終わりました。

こうして僅か1年半足らずで、柿谷曜一朗選手は、古巣・セレッソ大阪に戻ることになったわけです。

柿谷曜一朗選手のバーゼルとの契約は、4年契約なので、セレッソへの移籍には違約金が当然発生します。

これは約1000万ユーロ(邦貨約13億5千万円)と言われておりますが、クラブ間交渉で、大幅に減額することになり、セレッソ大阪に完全移籍の形で柿谷曜一朗選手が戻ってきたのです。

折角、鳴り物入りで獲得した柿谷曜一朗選手を、何故バーゼルは違約金を減らしてまで手放したのでしょうか。

まぁこれは単純に、バーゼルが柿谷曜一朗選手を

「これは使い物にならぬ」

と判断したからではないでしょうか。

では、何故バーゼルはそう判断したのか、そして柿谷曜一朗選手がセレッソ大阪に復帰した理由について、その辺りを次項で紹介していきますね。

 

柿谷曜一朗のバーゼル退団の理由・原因は?

柿谷曜一朗

柿谷曜一朗選手が、セレッソ大阪に復帰したその理由を書く前に、何故バーゼルは本来獲得できるお金を減らしてまで、柿谷曜一朗選手を手放したのか、という問題を考えみましょう。

バーセル側が「これは使い物にならぬ」と判断したと、筆者は前項で書きました。

その柿谷曜一朗選手が『使えない』という理由についてです。

元々、柿谷曜一朗選手は、広い視野と華麗なボールコントロールを持つゆえに、しばしば”天才”などと評されてきました。

元セレッソ大阪監督のセルジオ・ソアレスも、

「日本で柿谷ほどの技術を持っている選手はなかなかいない」

と高く評価していたそうです。

セレッソ大阪には、柿谷曜一朗選手と同期に入団した、あの香川真司選手(セレッソ-マンチェスターU-ドルトムント)よりも、入団当時は期待が大きかったと言われていましたから、彼の天才ぶりが伺えます。

しかも、バーゼルに入団した初戦では、見事にゴールを挙げています。

このような選手を、バーゼルが違約金を支払ってまで、手放す理由があるのでしょうか?

おそらくは誰もが抱く疑問でしょう。

もちろん柿谷曜一朗選手のバーゼル退団の真の理由は、当人とバーゼル幹部以外には、正確な所はわからないと思います。

しかし、ある程度の察しはつきますよね。

一つの理由は、移籍当時のバーゼルの監督であるソウザの構想と、柿谷曜一朗選手のスタイルが合わなかった、という点にあると思います。

ソウザは、選手には柔軟な思考と姿勢を求めるタイプだったようで、

「これが得意だから、これしかできないしやらない」

という、柔らかいとは真逆のスタイルの柿谷曜一朗選手とは、だいぶ離れた位置にあったようです。

そのためか、柿谷曜一朗選手の試合出場回数は、時間が経つに連れ、次第に減っていきました。

いわゆる『干された』という形ですね。

どんな名選手でも、試合に出なければ、得点を上げることなどできるはずがありません。

さらに、もう一つの理由は、柿谷曜一朗選手の性格的な問題もあったのではないでしょうか。

柿谷曜一朗選手は、決して人付き合いの良い方ではなく、むしろ自己中心的でわがままな性格だったと言われています。

しかも、一度こうと思い込んだら、中々それを頑固に変えない、という節もありました。

それゆえにバーゼルの選手達との交流もあまりなかったのではないか、と筆者は推察している次第です。

セレッソ大阪時代の「遅刻の常習犯」という称号は、伊達ではなかったということかもしれませんね。

このような状況が重なり合って、バーゼル側の「柿谷曜一朗は使えぬ」という判断に至ったと思われるのです。

 

柿谷曜一郎がセレッソ大阪に復帰した理由・原因とは?

柿谷曜一朗

それでは、セレッソ大阪側から見た、柿谷曜一朗選手の呼び戻しの理由・原因について考えてみます。

セレッソ大阪は、柿谷曜一朗選手のバーゼルへの移籍金として、バーゼルから約3億円を獲得したそうです。

しかし、今回の買い戻しの違約金は、13億超から大幅に値切ったとはいえ、以前受け取った移籍金の倍額以上だそうです。

つまり3億以上のお金を払ってまで、セレッソ大阪は、柿谷曜一朗選手が欲しかった、ということになりますが、果たしてそれで金銭的に元が取れるものでしょうか?

一つには昨年夏のフォルランとカカウ退団ということも、柿谷曜一朗選手の呼び戻しの大きな理由・原因になるでしょう。

とくにフォルランは、その時点で10ゴールを上げて、J2得点王でしたので、セレッソ大阪のJ1復帰には、絶対残って欲しい選手だったのです。

なのに何故、そのフォルランをセレッソ大阪が手放したのかといいますと、社長の言では、「会社の体力の問題です」ということです。

要はお金がないので、半年間で3億と言われるフォルランの報酬を払うことができなかったということですね。

このようなわけで、フォルランもカカウも世界的に有名なストライカーですが、それが短期間で二人とも退団してしまったわけです。

これはなんとかして、セレッソ大阪にとってのエースストライカーを獲得せねばと、当時は焦ったでしょう。

しかし、世界的なストライカーなど、そんじょそこらにゴロゴロいるわけがありません。

もちろん日本の選手でも、この時期に優れたFWを手放そうというチームは、まずありません。

ならば、手近で済まそうと(言葉は悪いですが)、柿谷曜一朗選手を買い戻した、ということではないかと推測しております。

お金の面でも、フォルランの年棒6億(推測)と、柿谷曜一朗選手の違約金は、釣り合っていたということになります。

これが柿谷曜一郎選手のセレッソ大阪復帰の主な理由だろうと思う次第です。

 

そして柿谷曜一朗の海外の評価は?

柿谷曜一朗

海外での評価を語る前に、柿谷曜一朗選手を巡るエピソードをひとつ。

かつて『遅刻の常習犯』の称号を獲得した頃のセレッソ監督は、レヴィー・クルピでした。

ある日、前日2得点した柿谷曜一朗選手は、翌日の練習に得意技「遅刻の常習犯」を発揮してしまいました。

それに激怒したクルピ監督は、徳島ヴォルティスへの期限付きの島流し技を発動したわけです。

2012年には、待望のJ1復帰を果たしたセレッソ大阪で、柿谷曜一朗選手は、11ゴールを上げ、Jリーグ優秀選手賞を受賞したりもしました。

その活躍により、ドイツ1部リーグのニュルンベルクから移籍オファーを受け、本人は「98%位行く気だった」と大いに乗り気だったようです。

しかし、シーズン終了後に当時のセレッソ大阪のエース・森島寛晃選手に招かれ、セレッソ大阪のエースナンバー「8番」の継承を要請されて大感激、柿谷曜一朗選手は、即座にセレッソ大阪に残ることを決意したということです。

これが自己中心主義者・柿谷曜一朗選手の一面を語るエピソードです。

さて、柿谷曜一朗選手の海外での評価ですが、この種の評価にありがちな、賛否両論という印象が強いですね。

ファンの発言(ツイッターでしょう)をランダムに挙げてみると、以下のようなコメントが聞こえてきました。

「力強いパフォーマンス」

「ポジティブだった」

「良いパフォーマンスだった」

「柿谷のプレーは気に入らなかった」

「単純にシュートを打たないし、ボールを持ちすぎる」

「中に入るのが速すぎる」

「柿谷は酷かった」

などなどです。

メディアでは、柿谷曜一朗選手の最初のシーズンの開幕戦などは、それなりに評価が高いようですが、その後は、かなりシビアな評価になってきています。

これは柿谷曜一朗選手自身の試合への出場回数と比例していますね。

もっともソウザ監督退任後の2シーズン目では、後任のウルス・フィシャー監督が、ソウザとは違う構想を持っていたようで、柿谷曜一朗選手は、かなり期待されていたようです。

しかし、フィシャー監督の元での試合でも、柿谷曜一朗選手の試合出場回数はあまり増えず、ついにバーゼル離脱、セレッソ大阪復帰となってしまいました。

 

まとめ    

こうして柿谷曜一朗選手を巡る、これまでの経緯やバーゼル退団の理由・原因、さらにはセレッソ大阪に復帰したその理由・原因と、海外での柿谷曜一朗選手の評価などを見てきました。

筆者の柿谷曜一朗選手の人間像としては、自己中心的な性格と裏腹に、森島からのエースナンバー継承依頼に感激するなど、かなり複雑な印象があります。

柿谷曜一朗選手のサッカー選手として一番の問題は、硬く融通が利かない、という点のみような気もしますね。

これは柿谷曜一朗選手の性格的にもプレイの幅の点でも、そのような印象を大きく受けてしまうのです。

それでも徳島移籍や、海外での経験などで、かつてとは、柿谷曜一朗選手自身の考え方もかなり変わってきたようですよ。

これらの経験を糧にして、新生セレッソ大阪で、柿谷曜一朗選手がJ1復帰の原動力となる素晴らしい活躍をすることを大いに期待しています!